NBAスポーツ速チャン

NBA好きです。2009年たまたまテレビに映ったコービーの姿に衝撃を受け、レイカーズの試合を中心にみるようになり、ブログを始めました。ただただNBA好きのおじさんです。NBAやBリーグの話題を2chからまとめて紹介しています。

    2020年05月

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    スコッティ・ピッペンはマイケル・ジョーダンと共にブルズの全盛期を支え、6度の優勝に貢献しました。

    攻守にわたり最高レベルのオールラウンダーとして活躍しましたが、ジョーダンというあまりにも大きすぎる光がピッペンを史上最高のナンバー2で最も過小評価された男として位置づけてしまいます。

    しかし、歴代屈指のSF(スモールフォワード)であることには変わりなく、もちろんスーパースターでもあります。

    今日は光と共に輝き続けたスコッティ・ピッペンを見ていきましょう。

    【テーマ】

    史上最高のナンバー2で最も過小評価された男~スコッティ・ピッペン~


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    目次
    1. ジョーダンとの出会い

    2. 受賞歴

    3. 過小評価

    4. 
    歴代屈指の選手

    5. 歴代屈指のスモールフォワード

    6. 貧乏からNBAプレイヤーに

    7. まとめ


    1. ジョーダンとの出会い


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    〇入団時のブルズ(ジョーダン)の状態
    ・ジョーダンのワンマンチーム
    ・プレイオフに進出するも1回戦で敗退

    ※ジョーダンは自分が決めればチームが勝てると思っていました。
    しかし、結果は伴わず父にも「相棒を探せ」と言われるようになります。

    そこに入団してきたのがピッペンです。ジョーダンは「やっと自分と同じくらい才能のある選手が入ってきた」と感じたらしいです。

    そこからジョーダン、ピッペン伝説の始まりました。

    毎日のように1on1をするようになり、ピッペンはみるみる実力をつけていきます。


    2. 受賞歴


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    殿堂入り: 2010

    永久欠番: ブルズ#33

    6×NBAチャンピオン: 1991-1993, 1996-1998


    7×NBAオールスターゲーム出場: 1990, 1992-1997


    NBAオールスターゲームMVP: 1994


    スティール王 :  1995


    オールNBAチーム
    3×1stチーム: 1994-1996
    2×2ndチーム: 1992, 1997
    2×3rdチーム: 1993, 1998


    NBAオールディフェンシブチーム
    8×1stチーム: 1992-1999
    2×2ndチーム: 1991, 2000

    〇基本情報

    身長: 203㎝

    体重: 103㎏

    所属チーム: 
    ブルズ 1987-1998
    ロケッツ 1998-1999
    ブレイザーズ 1999-2003
    ブルズ 2003-2004
         
    ポジション: スモールフォワード

    出身: アメリカ(アーカンソー州トハンブルク)

    ドラフト: 1987年 5位



    3. 過小評価


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    〇マイケル・ジョーダンの現状(ジョーダンのライバルは?)

    ・ベーブ・ルース(MLBメジャーリーグ)
    ・トム・ブレイディ(NFLアメリカンフットボール)
    ・ウェイン・グレツキー(NHLアメリカンアイスホッケー)

    ※アメリカの4大スポーツだけでなく

    ・タイガー・ウッズ(ゴルフ)
    ・ミハイル・シューマッハ(モータースポーツ)
    ・モハメド・アリ(格闘技)
    ・ペレ、マラドーナ(サッカー)

    といったNBAの枠を超えた歴代屈指のスポーツ選手達がライバルでした。


    1992年のバルセロナオリンピックからNBAは世界中に知れ渡り、ジョーダンはNBAの看板選手としての役割も果たしています。

    ※オリンピック代表選手たちのことをドリームチームと呼びました。
    ドリームチームについて

    もちろんジョーダンの実力は誰もが認めていましたが、NBAは戦略的にジョーダンを大きく取り扱っていました。

    ジョーダンの隣にいたピッペンはかすんでも仕方ありません。


    しかし、ピッペンの実力は誰もが認めています。


    4. 歴代屈指の選手


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    ピッペンは歴代屈指のオールラウンドディフェンシブプレイヤーと言われています。

    オールNBAチームに7回 、NBAオールディフェンシブチーム10回選出され、フォワードでは珍しいスティール王にも輝いています。

    〇ブルズが初めてチャンピオンになった1991年NBAファイナルのレイカーズ戦

    第1戦ジョーダンはレイカーズの大黒柱マジック・ジョンソンをマークしましたが、うまく機能せずレイカーズに負けてしまいます。

    第2戦以降、フィル・ジャクソンHCはマジックのマークをピッペンに任せました。

    すると、ピッペンは完璧な仕事をしてそこから4連勝を飾り、ブルズはフランチャイズ史上初の優勝を成し遂げます。


    〇ジョーダン引退後

    ジョーダンが野球選手に転向を発表した際、ブルズは優勝どころかプレイオフ進出も不可能と言われていました。

    しかし、55勝を上げピッペンはチームリーダーとして認められる存在になります。


    〇6度目の優勝シーズン

    ピッペンは足首の手術を行い開幕後3か月間出場できませんでした。
    ブルズは支柱を失い一時期プレイオフ進出も難しい状況に陥ります。


    【ジョーダンとの1on1】

    ピッペンが史上屈指のスモールフォワードと言われる最大の理由はジョーダンとの1on1です。
    入団当初から毎日のようにジョーダンの相手をしてきたのはピッペンです。
    史上最高のスコアラーと毎日鍛えられたら、屈指の選手になれるでしょう。

    ※もちろんピッペンの持っていた素質と努力の賜物ですが。。。



    5. 歴代屈指のスモールフォワード


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    ピッペンの特筆すべき点は他にもあります。

    ピッペンはただのオールラウンダーではありません。

    マジック・ジョンソンやレブロン・ジェームスも屈指のオールラウンダーですが、型があります。

    なので、相性のいい選手、相性の悪い選手が存在します。

    しかし、ピッペンには型がないのです。


    ジョーダンも全盛期と晩年ではプレイスタイルは変わります。

    全盛期・・・ドライブを中心にプレイ
    晩年期・・・ポストプレイを多用


    エースのプレイスタイルが変われば、他の選手の役割も変わります。
    ピッペンもジョーダンがポストプレイを多用し始めるとより外にポジションを取ります。

    なので、リバウンドが減り3Pシュートが増えました。
    ※もちろん他にもあります。


    ブルズを移籍した後も役割は変わりましたが、その役割を完璧にこなしました。

    歴代屈指のオールラウンダーで、エースやチーム状況によってプレイスタイルを変えることができるピッペン。

    本当の意味で歴代最高のスモールフォワードなのかもしれません。


    6. 貧乏からNBAプレイヤーに


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    ピッペンは12兄弟の末っ子でした。

    父親が脳出血で倒れ、兄弟が2人病気で亡くなるほど生活は不幸と困窮を極めます。

    働けなくなくなった父親の代わりに家族全員で働き、何とか食いつないでいました。

    ピッペンはろくな食事をとっていなかったので、体は小さく高校で175㎝70㎏でした。

    大学にマネージャーとして進学するも奨学金を受ける選手に欠番がでたため、ピッペンは奨学金を得ることになります。


    奨学金を得てまともな食事をとるようになると、みるみる成長し周囲からも「誰?」と言われるほどになります。

    175㎝70㎏→200㎝100㎏

    25㎝30㎏も変われば別人でしょう。


    ピッペンの体が出来上がるとバスケットの才能が開花し、ブルズのジェリー・クラウスGMの目に留まります。


    7. まとめ


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    スコッティ・ピッペンはマイケル・ジョーダンと共にブルズの全盛期を支え、6度の優勝に貢献しました。

    ジョーダンというあまりにも大きすぎる光がピッペンを史上最高のナンバー2で最も過小評価された男として位置づけてしまいます。

    なので、ピッペンはこう言われます。

    ピッペンジョーダンがいなければチャンピオンリングを獲れなかっただろう』

    はっきり言ってその通りだと思いますが、裏を返せば、

    ジョーダンピッペンがいなければチャンピオンリングを獲れなかっただろう』にもなります。


    「ピッペンが僕をより良いプレイヤーにしていたことを知ってるよ。ただ残念な事にそれに気づいたのはお互い引退した後だったけどね」

    「ピッペンは俺が必要としたときいつも隣にいてくれた。彼はいつも俺がナンバーワンでいれるように練習の度に俺のケツを叩いてくれたんだ」

    と、ジョーダンもピッペンを認めています。


    他のチームに移籍すれば、エースになれたのかもしれません。しかし、ブルズに残る選択をします。

    なので、
    史上最高のナンバー2で終わってしまいましたが、ピッペンの成し遂げたことは誰にもまねできません。

    歴代最高のバスケットボールプレイヤーに歴代屈指の最高のオールラウンダー。

    ジョーダンとピッペンが6度の優勝を成し遂げたのも分かる気がします。


    最後に史上最高のナンバー2で最も過小評価された男をご覧ください


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    ジョーダン引退後、低迷していたシカゴ・ブルズに光を与え、一気にトップチームに押し上げたデリック・ローズ。

    史上最年少でMVPを獲得し、誰もが輝かしい未来が待っていると思っていました。

    しかし、度重なる怪我で満足にプレイできないシーズンを数年間過ごし、誰もが以前のローズは見れないと思っていました。

    ただ1人の男を除いては。。。

    今日はそのただ1人の男、デリック・ローズを見ていきましょう。


    【テーマ】

    バラ(ROSE)は何度だって咲く~デリック・ローズ~


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    目次
    1. 史上最年少のMVP

    2. 受賞歴

    3. 怪我


    4. 復活の50得点

    5. 名言

    6. 殿堂入り


    7. まとめ



    1. 史上最年少のMVP


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    全盛期のローズは持ち前のフィジカルを前面に押し出した突進力が魅力でした。


    2008年、ローズはシカゴ・ブルズにドラフト1位で指名され入団。再建を目指すブルズにとって、地元出身のローズはフランチャイズプレイヤーとして打ってつけの選手でした。

    ルーキーイヤーから先発で活躍。前年大不振だったチームを立て直し新人王に選ばれます。

    翌年にはチームのエースとして君臨し、オールスターに初選出。

    2010-11シーズンは、チームは62勝20敗と1997-98シーズン以来の好成績で東地区首位の成績を残しました。

    プレイオフのカンファレンス決勝でヒートのビックスリーに敗れるも、

    史上最年少となる22歳6ヶ月でMVPを受賞します。


    〇MVPシーズンローズが達成した主な出来事

    ・キャリア初となるトリプルダブル(22得点12アシスト10リバウンド)

    ・ファン投票により自身初のNBAオールスターゲームのスターターに選出
    ・キャリアハイの42得点
    ・史上7人目のシーズン平均で25得点4.0リバウンド7.5アシスト以上を記録(25.0得点7.7アシスト4.1リバウンド)
    ・史上5人目(PGとしては史上初)のシーズン通算2000得点600アシスト300リバウンド以上を記録(2026得点623アシスト330リバウンド)
    ・最年少MVPはウェス・アンセルド以来実に42年振りとなる記録を更新。


    翌シーズンは怪我の影響で39試合に留まり、プレイオフ1回戦の第1試合、ローズに悲劇が襲います。



    2. 受賞歴


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    MVP : 2011

    3×NBAオールスターゲーム出場 : 2010-2012

    オールNBAチーム 1stチーム : 2011

    新人王 : 2009

    NBA最優秀モーメント賞:2019

    〇基本情報

    身長: 188㎝

    体重: 86㎏

    所属チーム: 
    ブルズ 2008-2016
    ニックス 2016-2017
    キャバリアーズ 2017-2018
    ジャズ 2019
    ウルブス 2018-2019
    ピストンズ 2019-
         
    ポジション: ポイントガード

    出身: アメリカ(イリノイ州シカゴ)

    ドラフト: 2008年 1位



    3. 怪我


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    ローズは選手生命を脅かす怪我を含め何回も怪我に見舞われています。


    数が多すぎるので今回は大きい怪我のみを紹介します。

    ・左膝前十字靭帯断裂(2012年プレイオフ1回戦第1試合)
    ・右膝半月板損傷(2013年11月)
    ・右膝半月板部分断裂(2015年2月)
    ・左膝半月板断裂(2017年4月)


    正直、どのような怪我か詳しくは分かりませんが、選手生命に関わる怪我という事は分かります。

    数多くの怪我を負い、心身ともにボロボロになったローズはキャバリアーズからジャズにトレードされ解雇された時点で、引退を考えたそうです。

    バスケットから離れ今後の人生に真剣に考えた時期でもあります。

    〇精神的に追い込まれていった理由

    最初の怪我を負った時点からアンチが現れました。

    理由は。。。

    ・医者のオッケーサインが出ても試合に出場しなかった
    ・全盛期に比べると物足りない

    更に怪我をする度に「またかよ」と言うアンチが増えていきました。

    ス―パースターとしてブルズで全盛期を迎え、心身ともにどん底まで落ちてしまったローズ。

    しかし、ここから奇跡の復活を果たします。


    4. 復活の50得点


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    ローズはどん底から復活します。

    【復活した理由】

    ・バスケットへの愛
    ・息子と娘の存在
    ・恩師の存在


    〇バスケットへの愛

    キャブス時代足首の怪我で1ヵ月以上まともに動けず、キャリアを終わりにしようか迷っていた時、朝の3時くらいにコートに立ってシュート打ち気づきます。

    バスケットを愛しているという事に。


    〇息子と娘の存在

    バスケットに対して正面から向き合うことができると、息子と娘に生き様を見せたいと思えるようになります。
    『言い訳は聞かない。不平不満を言わず、自分で対処しろ。自分がやりたいこと、やるべきことをやるんだ』と言葉ではなく態度で。


    〇恩師の存在

    心の準備ができたローズはウルブスから誘われます。ウルブスのHCはローズがシカゴにいた時にHCだったトム・シボドーで、チームメートもジミー・バトラーやタージ・ギブソンなどブルズ時代の同僚たちが多く、自然と馴染むことができる環境でした。


    ウルブスと契約し、翌シーズンの2018年10月31日にその日が来ます。

    昨シーズンローズを解雇したジャズからキャリアハイとなる50得点を獲得。残り30秒でプッシュショットにフリースローを決め、決められていたら同点になっていた3Pシュートもブロックしました。

    全盛期とは違うローズ、でも確かにそこにローズはいました。試合後流した涙、怪我で苦しんだ時間の思いと感謝が爆発したものだと思います。


    この試合でNBA最優秀モーメント賞を受賞しました。



    5. 名言


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    怪我をした後の名言をまとめました。

    ・バスケットボールが自分を離してくれない。自分に限界は作らない。
    ・プレーをやめたことはあったけど、諦めたことは一度もないよ。
    ・明日の天気も予測できないのに僕のキャリアのことを予測できるはずがない。
    ・言い訳は要らない。すべては自分なんだ。くだらない批判も受け入れないといけない。それを気に止めながら、前進し続けないといけないんだ。


    【キャリアハイの50得点を叩き出した試合後のインタビュー】

    必死に努力してきた結果。球団、ファンのためにプレーした結果。みんなのためにプレーしたいんだ

    目に涙を堪えながらコメントを残しました。


    波乱万丈なローズのキャリアを知ると、名言も一味変わってきます。

    6. 殿堂入り


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    過去にMVPを獲得した選手が殿堂入りを逃した選手はいないそうです。

    ローズはその1人目になるのではと言われていましたが、キャリアハイの50得点を叩き出した試合の後から度々話題になります。

    ローズ自身も「自分も殿堂入り選手にふさわしい」とコメントしています。


    キャバリアーズでキャリアを終了していたら選ばれなかったのかもしれません。

    しかし、キャリアハイの50得点を達成し、2019-20シーズンには全盛期にも達成できなかった14試合連続で20得点を上回りました。

    私はローズに殿堂入りしてほしいと思っていますので、公平なジャッジができませんが、現時点ではどっこいどっこいだと思います。

    文句なしの殿堂入りのためには何か1つの受賞か強烈なインパクトが必要だと思います。

    ローズにはどちらかを達成して文句なしの殿堂入りをしてほしいです。


    余談ですが。。。

    MVPプレイヤーは全盛期に獲得するものですが、ローズは異例の3年目に受賞しました。そして4年目に怪我を負ってしまいます。
    バスケットプレイヤーとして全盛期を迎える前に全盛期と呼ばれるようになったローズ。

    本当の意味の全盛期を見てみたかったです。



    7. まとめ


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    キャリア3年目でMVPを獲得しこれから全盛期を迎える前に怪我、怪我、怪我の連続、多くのファンはローズに「もう痛々しくて見てられないから引退してくれ」という声も聞かれる時期がありましたが見事に復活。

    50点試合後、ローズの涙を見て涙を流した人もいるでしょう。

    今シーズンはピストンズのスコアラーとして奮闘していたローズ。

    しかし、怪我でシーズン全休の発表がありました。そこまで重症ではないらしいのですが気になります。

    私的には優勝候補のチームに移籍してリングを手にしてほしいと思いますが…。当の本人は移籍するつもりはないそうです。。。


    でも、ローズが楽しそうにプレーしている姿が一番なので。笑って楽しくプレーしてほしいと思います。


    最後に今シーズンの活躍をご覧ください。


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    漫画スラムダンクの主人公桜木花道のモデルになったと言われるデニス・ロッドマン(流川楓のモデルはマイケル・ジョーダンと言われています)

    派手な外見、数々の問題行動や奇行から“問題児”のレッテルを貼られたロッドマン。

    しかし、コートに立てば歴代でも屈指の実力を持つディフェンダーに変わります。

    ファウルを厭わないディフェンスや乱闘は問題にもなりましたが。。。しかし、見方を変えれば勝利への執念だったとも言えます。

    今日は、問題児デニス・ロッドマンを見ていきましょう。


    【テーマ】

    桜木花道のモデルとなった問題児~デニス・ロッドマン~



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    目次
    1. 桜木花道のモデルはデニス・ロッドマン!?

    2. 受賞歴

    3. ジョーダンとピッペンと共に


    4. バスケットIQ

    5. スラムからNBAへ


    6. まとめ



    1. 桜木花道のモデルはデニス・ロッドマン!?


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    漫画スラムダンクの主人公桜木花道とデニス・ロッドマンは非常に似ていると言われています。

    ・赤坊主
    ・問題児
    ・リバウンド王
    ・ルーズボール(諦めないプレー)
    ・背番号#10(ピストンズ所属時)

    他にもありますが、主にはこの5点です。


    しかし、作者の井上雄彦先生は完全否定しています。

    「桜木花道のモデルはいない。いるとすればチャールズ・バークレー」
    と、明言しています。


    チャールズ・バークレーとも似ていますが、見た目、プレイスタイルがロッドマンに似すぎている気もします。

    私は、「桜木花道のモデルは誰?」と聞かれた時、井上先生はロッドマンが大きい問題を起こした後だったので、ロッドマンと答えることができず、今に至ると思っています。


    桜木花道のモデルが誰であっても『スラムダンク』は最高の漫画という事に変わりはないので、どちらでもいい気がしますが、やはり気になってしまいます。



    2. 受賞歴


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    5×NBAチャンピオン:1989, 1990, 1996, 1997, 1998

    2×NBAオールスターゲーム出場:1990, 1992

    2×NBA最優秀守備選手賞:1990, 1991

    オールNBAチーム
     2×3rdチーム:1992, 1995

    NBAオールディフェンシブチーム
     7×1stチーム:1989-1993, 1995,1996
     2ndチーム : 1994

    7×リバウンド王:1992–1998

    〇基本情報

    殿堂入り: 2011

    永久欠番: ピストンズ#10

    身長: 203㎝

    体重: 105㎏

    所属チーム: 
    ピストンズ 1986-1993
    スパーズ 1993-1995
    ブルズ 1995-1998
    レイカーズ 1999
    マーベリックス 2000
         
    ポジション: パワーフォワード、スモールフォワード

    出身: アメリカ(ニュージャージー州トレントン)

    ドラフト: 1986年 2巡目27位



    3. ジョーダンとピッペンと共に


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    シカゴ・ブルズ黄金期の中でも、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマンの3人がいた1995-96シーズンは史上最高のチームと言われ、史上初シーズン70勝を達成しました。

    2016-17シーズンのウォリアーズも70勝を達成し史上2番目のチームとなります。


    1995-96シーズン前、ブルズはロッドマンを獲得したが、周囲からは「世紀の大バクチ」と言われていました。

    〇理由

    ・1991年プレイオフ、ロッドマンはピッペンを客席まで突き飛ばし顎を数針縫うけがを負わせていました。

    ・前シーズン所属していたスパーズでは、歌手のマドンナとの交際、髪を染めたり、いくつかの騒動を起こしていました。ロッドマンの暴走はプライベートだけでなく、試合にも及ぶようになります。練習に遅刻するだけでなく、試合にも遅刻し、終いにはカンファレンス決勝の試合中にシューズを脱ぐ行動も起こしていました。


    ブルズの一員となったロッドマンは周囲の心配をよそにジョーダンとピッペンと共に最強トリオとしてセンセーションを巻き起こします。

    試合中乱闘になったり、審判にヘッドバットをかます等相変わらずの問題児には変わりありませんでしたが、ジョーダンやピッペンがその都度全力で止める姿もブルズの風物詩となっていました。

    結果、史上最高チームは3連覇を達成しロッドマンの評価も最高潮に達しました。


    4. バスケットIQ


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    問題児と言われていたロッドマンでしたが、バスケットIQは非常に高かったようです。

    今回はロッドマンの2つのエピソードを紹介します。

    ・マイケル・ジョーダンが認めた適応力
    ・ピストンズ入団当初のシュート練習の際


    〇マイケル・ジョーダンが認めた適応力

    ロッドマンがブルズに移籍した際、ブルズが採用していた戦術が「トライアングルオフェンス」です。

    トライアングルオフェンスは非常に複雑で適応するのに時間が掛かるそうですが、ロッドマンは誰よりも早く理解し適応してしまったのです。

    ジョーダンも、「ロッドマンは私を含む誰よりも早く、トライアングル・オフェンスを理解した」と、ロッドマンのバスケットIQの高さを認めています。


    〇ピストンズ入団当初のシュート練習の際

    バットボーイズと呼ばれていたピストンズに入団したロッドマンはエースのアイザイア・トーマスやビル・レインビアのシュート練習を眺めていました。

    シュート練習に参加しないロッドマンを見て不思議に思ったチームメイトが声をかけると、

    ロッドマンは、選手それぞれのシュートの回転数やリングにはじかれた際の癖を話し始めたそうです。

    リバウンドを獲る際のポジション取りを想像していたのでしょう。



    5. スラムからNBAへ


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    ロッドマンを語る上で、特質な事が2点あります。

    ・スラム出身
    ・本格的にバスケットを始めたのは大学生から


    〇NBA入団までの道のり

    NBA選手は幼少期から「華々しい活躍」というイメージが強いですが、ロッドマンは真逆の人生を歩んできました。

    幼少期の大半をスラムで過ごし、姉と妹の影響でバスケットを始めますが、才能の片鱗は開花せず、バスケットを辞めてしまいます。

    高校卒業と同時に家を追い出され空港の整備の仕事で生計を立てていましたが、その仕事も辞めてしまい、ホームレスや万引きをして日々を過ごしていました。

    妹の誘いで短大に入学するも人種差別にあい更に引っ込み思案な性格に拍車がかかります。

    そこに1人の親友が現れ、苦楽を共にし始めると人として良い成長につながり、その成長はバスケットの才能を開花させていきます。

    短大、大学と4年間過ごし、卒業する頃にはNBAにも名前を知ってもらえる存在に変わっていました。


    大学の時から得点よりもリバウンドの方が魅力的に感じていたそうです。
    通算得点6,683得点 通算リバウンド数:11,954回

    数字を見ても得点よりもリバウンドの方が魅力的に感じていたのが分かります。


    NBAに通用する実力はありましたが25歳という遅咲きだったので上位指名にはなりませんでしたが、晴れてNBAプレイヤーになります。


    6. まとめ


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    漫画スラムダンクの主人公桜木花道のモデルになったと言われるデニス・ロッドマンは漫画の主人公よりも問題児だったのかもしれません。

    とある番組に出演した際に、ロッドマンは「警察にお世話になった回数はゆうに100回は超えている」と、番組MCを絶句に追い込みました。


    しかし、ロッドマンが歴代最高のディフェンダーであることは間違いありません。

    2度の最優秀守備選手、8度のNBAオールディフェンシブチーム、何より驚異の7年連続のリバウンド王と数々の伝説を残しました。

    試合中に乱闘騒ぎや審判への暴言等問題児扱いされてきましたが、
    裏を返せば熱いハートの持ち主だったともいえるでしょう。


    最強の熱いハートを持っていたデニス・ロッドマン。
    スラムダンクの主人公桜木花道のモデルだったら素敵だと思います。


    最強のディフェンダーのデニス・ロッドマンをご覧ください。


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