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アキーム・オラジュワンは1980年代から1990年代にかけて最強センターの名を手にしました。

ゴール下でのフットワークは常軌を逸しており、オラジュワンが繰り出すフェイクとスピンムーブは「ドリームシェイク」とも言われ、他チームからは驚異となっていました。

ディフェンスにおいてもリバウド数は歴代13位、ブロック数は歴代1位、スティ―ルにおいてもセンターにも関わらず歴代10位に位置しています。

一時代のトッププレイヤーとして名前を残してもおかしくないようなスタッツとインパクトを残していますが同時期にはあの男がいたため、トッププレイヤーにはなれませんでした。

本日は必殺の「ドリームシェイク」を武器に1980年代から1990年にかけて最強のセンターと呼ばれたアキーム・オラジュワンを見ていきましょう。

【テーマ】

華麗なるドリームシェイクで最強を手にした男~アキーム・オラジュワン~


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目次
1. 必殺技『ドリームシェイク

2. 受賞歴

3. 連覇

4. オラジュワン道場

5. 
まとめ



1. 必殺技『ドリームシェイク


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1980年代から1990年代にかけては歴代でも屈指のセンターが数多くいました。

・カリーム・アブドゥルジャバー
・パトリック・ユーイング
・デイビッド・ロビンソン
・シャキール・オニール
等いましたが、


カリームから最強のセンターの座を受け継いだのはアキーム・オラジュワンです。

センターでありながらガード並みのボールハンドリングやフットワークを持っていました。

そこに、フェイクも加えることにより、必殺技『ドリームシェイク』の完成です。

更にシュートバリエーションも多彩でしたのでどうしようもありません。


高さやパワーが主戦場のセンターというポジションで、『ドリームシェイク』を武器に暴れまくり、ロケッツの2連覇に貢献しました。

スパーズのデイビッド・ロビンソンは歴代でも屈指のセンターでしたが、「彼のスピンムーブを止められる選手はいない」と言わしめるほどです。

ちなみに。。。

1990年のバックス戦に史上4人しか達成していないクアドルプルダブルを達成しました。

18得点10アシスト16リバウンド1スティール11ブロック

※クアドルプル・ダブルとは・・・得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックショットの5つのうち4つの項目において2桁数を記録すること

※1974年以前にはスティールとブロックショットは公式には記録されていなかったため、1973年以前にも達成者がいたと予想されます。
(ウィルト・チェンバレン、ビル・ラッセル、オスカー・ロバートソン等)



2. 受賞歴


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殿堂入り: 2008

永久欠番: ロケッツ#34

2×NBAチャンピオン : 1994-1995

2×NBAファイナルMVP : 1994-1995

MVP : 1994

12×NBAオールスターゲーム出場 : 1985-1990, 1992-1997

オールNBAチーム
 6×1stチーム : 1987~1989, 1993-1994, 1997
 3×2ndチーム : 1986, 1990, 1996
 3×3rdチーム : 1991, 1995, 1999

2×NBA最優秀守備選手賞 : 1993-1994

NBAオールディフェンシブチーム
 5×1stチーム : 1987-1988, 1990, 1993-1994
 4×2ndチーム : 1982, 1991, 1996-1997

NBAオールルーキーチーム 1stチーム : 1985

2×リバウンド王 : 1989-1990

3×ブロック王 : 1990-1991, 1993

〇基本情報

身長: 213㎝

体重: 115㎏

所属チーム: ロケッツ:1984-2001 ラプターズ2001-2002
     
ポジション: センター

出身: ナイジェリア(ラゴス州ラゴス)

ドラフト: 1984年 1位



3. 2連覇


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〇マイケル・ジョーダン 6×NBAチャンピオン

1991-1993 1996-1998


ジョーダンが達成した2度の3連覇は有名ですが、MLBに挑戦していた2年間はオラジュワン擁するロケッツが2連覇を達成します。

全盛期だったジョーダンの突然の引退はアメリカのみならず全世界に衝撃を与えました。

しかし、ジョーダンという絶対的ヒーローの影にいた2番目のヒーロー達にとってはナンバー1になるためのチャンスでもありました。

結果、オラジュワンがナンバー1になるのですが、ジョーダンがNBAに復帰して3連覇を達成したため、オラジュワンの2連覇は影を潜めます。


※オラジュワンは1984年のドラフト1位でしたが、3位にマイケル・ジョーダンがいたため、誰にも恥じないスタッツを残しても、ジョーダンと比べられ、叩かれることもあり精神的にも落ち込んだ時期もありました。


〇1993-1994

全盛期を迎えていたオラジュワンはこのシーズンMVPを獲得し、ファイナルに進出します。

相手はパトリック・ユーイング擁するニックス。

※ユーイングとは大学の決勝で負けた時以来の因縁の対決として注目を浴びました。

ニックスはオラジュワンを止めるためにユーイングだけでなく数々の選手を当てスタミナを削る作戦が功を奏し、第7戦までもつれる展開になりましたが、最後はオラジュワンが決めます。

オラジュワンはロケッツを悲願の初優勝に導きました。


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〇1994-1995

連覇を目指し、大学時代のチームメイト、クライド・ドレクスラーを加えたロケッツは、昨シーズンより勝ち星は伸ばせませんでしたが、ファイナルに進出します。

ファイナルでは、若き日のシャック擁するマジック。「シャック・アタックvsドリーム・シェイク」で話題を集め、下馬評ではマジック有利と言われていましたが、

オラジュワンがシャックを圧倒し、スイープ(4連勝)でマジックを下しました。

ロケッツは2連覇を達成し、オラジュワンはNBAの顔になります。

ロケッツの優勝は後にも先にもこの2連覇のみなので、ヒューストンにとってオラジュワンは英雄となっています。


「シャック・アタックvsドリーム・シェイク」で話題を集めたファイナルの様子をご覧ください。



4. オラジュワン道場


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オラジュワンは現役引退後、スキルトレーナーとしても活躍しています。

コービーがポストでの支配力を高めたいとオラジュワンにコーチの依頼をしたことがきっかけでした。

コービーは現役選手として全盛期のオラジュワンを見ているのでより高みを目指すために『ドリームシェイク』の極意を知りたかったと思われます。

コービーが認める『ドリームシェイク』はやはりすごかったと分かるエピソードでもあります。
※コービーは1996年からコートに立っているので全盛期のオラジュワンを見ています。


その後、コービーがポストプレーでも活躍すると、オラジュワン道場の門を叩く選手が現れます。

・レブロン・ジェームス
・ドワイト・ハワード
・アマーレ・スタウダマイヤー
・カーメロ・アンソニー
・ジャベール・マギー
等の選手を指導したそうです。


今後も数多くの選手が門を叩くことになるでしょう。


5. まとめ


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ゴール下でのフットワークは常軌を逸しており、オラジュワンが繰り出すフェイクとスピンムーブは「ドリームシェイク」とも言われ、他チームからは驚異となっていました。

一時代のトッププレイヤーとして名前を残してもおかしくないようなスタッツ、インパクトを残していますが同時期にはマイケル・ジョーダンがいたため、本当の意味でのトッププレイヤーにはなれませんでした。

ジョーダンの陰に潜んでしまった選手の代表、アキーム・オラジュワン。

歴代最高のセンターは?という問いに、ウィルト・チェンバレン、ビル・ラッセル、カリーム・アブドゥルジャバー、シャキール・オニール等の名前が上がるでしょう。

しかし、オラジュワンの存在も忘れてはなりません。


私は歴代最高のセンターがアキーム・オラジュワンだとは思いませんが、その議論に名前が上がる選手だと思います。


マイケル・ジョーダンという光の一番の被害者アキーム・オラジュワン。

アキーム・オラジュワンを知らなかった方はぜひ抑えておいて下さい。損はしません。


最後にもう一度オラジュワンのプレイをご覧ください。