NBAスポーツ速チャン

NBA好きです。2009年たまたまテレビに映ったコービーの姿に衝撃を受け、レイカーズの試合を中心にみるようになり、ブログを始めました。ただただNBA好きのおじさんです。NBAやBリーグの話題を2chからまとめて紹介しています。

    カテゴリ:NBA > 歴代選手

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    本日はコービー・ブライアントが亡くなってから半年です。

    私はコービーを見てNBAにはまりました。

    私にとってNBAと言ったらコービー、コービーと言ったらNBAそのものです。

    数多くの偉業を達成し、数多くのファンを魅了しました。

    それでは、レイカーズの背番号#8の生き様、コービー・ブライアントを見ていきましょう。

    コービーブライアントの背番号#8の記事はこちら↓
    レイカーズ背番号#8の生き様(前編)~コービー・ブライアント~

    【テーマ】

    レイカーズ背番号#24の生き様(後編)
    ~コービー・ブライアント~


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    目次
    1. 2連覇

    2. 受賞歴

    3. 引退試合

    4. マンバメンタリティ

    5. 突然の死

    6. 
    まとめ



    1. 2連覇


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    コービーは
    2008-09
    2009-10

    の2シーズンで2連覇を達成しました。

    連覇が掛かっていた2009-10シーズン
    コービーは連覇しなければならない理由がありました。
    ・セルティックとの再戦
    ・シャックを超えるために

    ・セルティックとの再戦

    コービーは3シーズン連続で
    ファイナルに進出しました。

    しかし、
    2007-08シーズンはセルティックスに敗れてしまいます。

    2年前の雪辱戦。

    勝たなければなりません。

    ・シャックを超えるために

    3連覇を果たした1999-00~2001-02シーズン以降
    結果を残せないコービーに対して「シャックを超えられない」とずっと言われ続けてきました。

    シャックはレイカーズから放出された後に
    ヒートで1回優勝しています。

    シャックを超えるために、自身が中心なチームでも連覇ができることを証明するために
    負けられないファイナル。

    もつれにもつれたファイナルは
    第7戦に突入します。

    試合は
    がちがちのディフェンスの試合になりました。

    結果は
    83-79でレイカーズの勝利。

    試合後コービーは
    「相手が相手だから、これまでの優勝で一番嬉しいね。そして一番厳しいものでもあった。本当に(この勝利が)欲しかったのだけど、たまに欲しすぎて逃してしまうものもある。仲間が僕を助けてくれた」

    とコメント。

    2連覇を達成し、
    2年連続ファイナルMVPを獲得。

    名実共に
    シャックを超えた瞬間になりました。

    2010年ファイナル第7戦をご覧ください。



    2. 受賞歴

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    5×NBAチャンピオン:2000, 2001, 2002, 2009, 2010

    1×NBAシーズンMVP:2008

    2×NBAファイナルMVP:2009, 2010

    2×NBA得点王(1試合平均):2006 (35.4), 2007 (31.6)

    4×年間最多得点:2003 (2,461), 2006 (2,832), 2007 (2,430), 2008 (2,323)

    3×年間最多フィールドゴール成功:2003 (868), 2006 (978), 2007 (813)

    2×年間最多フリースロー成功:2006 (696), 2007 (667)

    オールNBAチーム
    11×1stチーム:2002-2004, 2006,2007-2013
    2×2ndチーム:2000, 2001
    2×3rdチーム:1999, 2005

    NBAオールディフェンシブチーム
    9×1stチーム:2000, 2003, 2004, 2006,2007-2011
    3×2ndチーム:2001, 2002, 2012

    18×NBAオールスターゲーム出場:1998, 2000-2006,2007-2016

    NBAオールルーキーチーム 2ndチーム:1997

    【基本情報】

    身長: 198㎝

    体重: 96㎏

    生年月日: 1978年8月23日

    没年月日: 2020年1月26日

    所属チーム レイカーズ: 1996-2016
         
    ポジション: シューティングガード

    出身: アメリカ(ペンシルベニア州フィラデルフィア)

    ドラフト: 1996年 13位


    3. 引退試合

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    コービーは
    引退試合で伝説を残します。

    特にラスト2分30秒は
    20年間バスケに捧げたコービーに神が舞い降りたような活躍を披露。

    10点ビハインドで迎えた残り2分30秒
    コービーはそこからノーミスで連続13得点をあげ、逆転勝利を獲得しました。

    会場(ステイプルセンター)は2010年レイカーズが連覇した時のような
    割れんばかりの大喝采。

    コービーはこの試合で60得点を叩き出し、
    コービーらしい有終の美を飾ります。

    ちなみに37歳での60得点はウィルト・チェンバレンが記録した32歳60得点を大幅に更新する
    NBA史上最年長記録にもなります。

    試合後、
    「何よりも重要だったのは、キャリアを通じて僕たち全員が一丸となれたこと。皆さんは僕の心に常にい続ける存在です。心から、本当に感謝しています。心の底から、ありがとうと言わせてください。愛しています」

    「この20年間、いつだってチームメイトから『自分にパスを出せ』と強く言われてきたのに、今夜は、『パスを出すな』と言われて、まいってしまったよ」

    とコービーらしいスピーチをしました。

    最後には
    「ほかに何を言えばいいかな? Mamba out!!(マンバは去ります!)」

    でスピーチを締めコートを去ります。

    全てを出し尽くしたコービーは
    試合後、ロッカールームから車まで行くことも困難だったそうです。

    コービーの引退試合ラスト2分30秒をご覧ください。



    4. マンバメンタリティ

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    コービーは10年間背負った背番号を#8から
    #24に変更しました。

    理由は
    初心に返るため高校時代んに着用していた24。
    1日24時間に対して感謝をし、今後のキャリアを続けていくという意味で24。

    等言われてますが、私はシンプルにジョーダンを越えたいという想いで24に変更したと思っています。

    そして、もう1つ。

    この頃からコービー自身にもう1つの人格
    ブラックマンバ」を作り上げました。
    (一種のキャラ作りだと思っています)

    よりバスケットに集中するため、より高みを目指すため、
    バスケットボールプレイヤーのコービー・ブライアントの時は「ブラックマンバ」と呼ぶようになりました。

    そして、ブラックマンバが思うバスケットに対しての考え方を
    マンバメンタリティーと呼んでいます。

    コービーはマンバメンタリティについてこう説明しています
    マンバメンタリティとは、答えを見つけ出すための終わりなき冒険。 もっと上達したい、もっと知りたいという無限の好奇心。 マンバメンタリティとは、結末にこだわらずに、とにかく進み、戦う事。 人から何と言われるか、誰かに失望されるのではないか、そんなことは一切気にせず、その瞬間だけに神経を注ぐ。 それがマンバメンタリティ。

    簡単に言えば
    常に最高の自分を目指すということです。

    コービーは
    努力家としても有名。

    現役で過ごした20年間は
    全てをバスケに費やしたとも言っても過言ではありません。

    毎朝4時から練習を始め、誰よりも遅くまで練習していたコービー。

    コービーのバスケットボール人生そのものが
    マンバメンタリティなのです。


    5. 突然の死

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    2020年1月26日
    コービーと次女のジアナら9名を乗せたヘリコプターが墜落し、全員の死亡が確認されました。

    この事故死は多くの人々が悲しみ、同日行われたNBAの試合では
    追悼セレモニーの他にコービーが着用した背番号#8#24にちなんで、8、24秒のバイオレーションで追悼の意をささげます。

    コービーの追悼式では
    マイケル・ジョーダンやシャキール・オニールが追悼のスピーチをしました。

    あまりにも突然すぎるコービーの死は
    ブラックマンバから父親に変わってこれからの時に。。。でした。

    コービーは亡くなりましたが、マンバメンタリティは生きています。

    コービーに憧れてバスケを始めた少年が
    マンバメンタリティを持ってコート上で表現しています。

    マイケル・ジョーダンのスピーチをご覧ください。



    6. まとめ

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    背番号#8は
    シャックとの3連覇と81得点ゲーム。ルーキーシーズンからの10年、ジョーダンの背中を追い続け、そのジョーダンからバトンを託されNBA界を引っ張っていく存在として。

    背番号#24は
    ブラックマンバととなり、2連覇、満身創痍で達成した引退試合の60点ゲーム、ジョーダンから託された想いを次の世代に託す存在として。

    引き継がれてきた想いとコービーの想いは
    次世代のスーパースター達に引き継がれていきます。

    引き継がれた想いが引き継がれ続く限り
    コービーの想いは生きています。


    今生きている存在として、NBAを好きになるきっかけをくれたコービーのために何ができるか分かりませんが、
    何かをしていきたいと思います。

    コービーブライアントの背番号#8の記事はこちら↓
    レイカーズ背番号#8の生き様(前編)~コービー・ブライアント~

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    本日はコービー・ブライアントが亡くなってから半年です。

    私はコービーを見てNBAにはまりました。

    私にとってNBAと言ったらコービー、コービーと言ったらNBAそのものです。

    数多くの偉業を達成し、数多くのファンを魅了しました。

    それでは、レイカーズの背番号#8の生き様、コービー・ブライアントを見ていきましょう。

    コービーブライアントの背番号#24の記事はこちら↓
    レイカーズ背番号#24の生き様(後編)~コービー・ブライアント~


    【テーマ】

    レイカーズ背番号#8の生き様(前編)
    ~コービー・ブライアント~


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    目次
    1. 3連覇

    2. 受賞歴

    3. 81得点

    4. マイケル・ジョーダン

    5. シャキール・オニール

    6. スキャンダル

    7. 
    まとめ



    1. 3連覇


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    コービーは
    1999-00
    2000-01
    2001-02

    の3シーズンで3連覇を達成しました。

    1999-00シーズン以前は、
    個人プレイに頼りがちなプレイはチームプレイからほど遠くレギュラーシーズンではそこそこの成績を残しましたが、プレイオフになると極端に弱くなります。

    1999-00シーズンには
    フィル・ジャクソンHCを招へいし1からチームを築きます。

    シャックとコービーも
    チームプレイをするように。

    すると、
    レイカーズは快進撃を演じます。

    3連覇を達成したシーズンのファイナル成績は
    1999-00 4-2 vsペイサーズ
    2000-01 4-1 vsシクサーズ
    2001-02 4-0 vsネッツ

    フィル・ジャクソンHCが仕掛けた
    トライアングルオフェンスの成果と言っていいでしょう。

    現在ではシャックとコービーのデュオで3連覇を達成したと言われていますが、
    当時はシャック主体のチーム。

    レギュラーシーズン/プレイオフ平均得点
    コービー
    1999-00 22.5/21.1
    2000-01 28.5/29.4
    2001-02 25.2/26.6

    シャック
    1999-00 29.7/30.7
    2000-01 28.7/30.4
    2001-02 27.2/28.5

    ファイナルMVPも
    シャックが3年連続で獲得。

    3連覇は
    シャックの3連覇となります。


    2. 受賞歴

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    5×NBAチャンピオン:2000, 2001, 2002, 2009, 2010

    1×NBAシーズンMVP:2008

    2×NBAファイナルMVP:2009, 2010

    2×NBA得点王(1試合平均):2006 (35.4), 2007 (31.6)

    4×年間最多得点:2003 (2,461), 2006 (2,832), 2007 (2,430), 2008 (2,323)

    3×年間最多フィールドゴール成功:2003 (868), 2006 (978), 2007 (813)

    2×年間最多フリースロー成功:2006 (696), 2007 (667)

    オールNBAチーム
    11×1stチーム:2002-2004, 2006,2007-2013
    2×2ndチーム:2000, 2001
    2×3rdチーム:1999, 2005

    NBAオールディフェンシブチーム
    9×1stチーム:2000, 2003, 2004, 2006,2007-2011
    3×2ndチーム:2001, 2002, 2012

    18×NBAオールスターゲーム出場:1998, 2000-2006,2007-2016

    NBAオールルーキーチーム 2ndチーム:1997

    【基本情報】

    身長: 198㎝

    体重: 96㎏

    生年月日: 1978年8月23日

    没年月日: 2020年1月26日

    所属チーム レイカーズ: 1996-2016
         
    ポジション: シューティングガード

    出身: アメリカ(ペンシルベニア州フィラデルフィア)

    ドラフト: 1996年 13位


    3. 81得点

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    2006年1月22日ラプターズ戦
    コービーにとって伝説の試合になります。

    スタッツ
    出場時間: 41分56秒
    得点: 81得点
    アシスト: 2アシスト
    リバウンド: 6リバウンド
    FG成功率: 60.9% 28/46
    3P成功率: 53.8% 7/13
    FT成功率: 90% 18/20

    81得点は、
    ウィルト・チェンバレンが達成した100得点に次ぐ2位の記録です。

    コービーは試合後
    「俺は簡単に得点できるオープンな状況で多くミスしたんだ。100得点は可能だと思うね。絶対に。もし前半でベンチに6分座っていなければ100点取れたかもしれないよ」

    とコメントしています。

    喜びのコメントではなく、
    課題を口にした、実にコービーらしいコメントです。

    ジャクソンHCも
    「今夜のコービーはジョーダンのどんな試合よりも凄かった。」

    とコービーに最大限の賛辞を送りました。

    このシーズン、
    コービーは、
    現役屈指のスコアラーから歴代屈指のスコアラーに進化し、
    名実ともにマイケル・ジョーダンに一番近い男になります。

    81得点試合をご覧ください。



    4. マイケル・ジョーダン

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    コービーのバスケット人生において
    マイケル・ジョーダンという男はなくてはならない存在です。

    コービーは
    ジョーダンの全盛期を見て育った世代です。
    なので、ジョーダンを真似してバスケットに取り組んでいました。

    コービーの動きはジョーダンそのもので、
    ジョーダンのコピーと言われるほどです。

    実績とカリスマ性に加え、ポジション、プレースタイル、体格、闘争心旺盛で筋金入りの負けず嫌いというジョーダンそっくりなコービーは、
    数多くのスター選手を差し置いてジョーダンと比較されています。

    当初は「コービーではジョーダンの後継者になれない」と言われていましたが、
    実力でその座を勝ち取ります。

    ジョーダンとコービーは
    お互いに実力を認め合い、いい意味での師弟関係を築きます。

    ジョーダンはコービーに対して、
    1998年のオールスターゲーム終了後に後継者としてコービーを指名。

    引退して月日が経った2012年には「自分の引退後のプレイヤーの中で、自分と比較されるにふさわしい選手はコービーだけだ」とコメント。

    「自身の全盛期にマッチアップをしてみたい相手は誰ですか?」との問いに「誰にも負ける気はしないよ、コービー以外には。彼は私の動きを全て盗んだからね」と答えました。

    コービーはジョーダンに対して
    「1on1では誰も俺には勝てない。もし俺に勝てる選手がいるとすれば、彼は98年にユタでラストショットを決めて引退したよ。」と答えました。

    コービーとジョーダンのシンクロ集


    コービーvsジョーダン



    5. シャキール・オニール

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    コービーとシャックはレイカーズで
    8シーズン共にしました。

    シャックとコービーと言えば3連覇ですが、
    不仲な事でも有名です。

    コービー
    超が付くほどまじめ

    誰よりもバスケに時間捧げ練習に励む。

    チームメイトにも厳しく当たりました。

    シャック
    超が付くほどのお調子者

    練習嫌いで常にコンディション不足。

    チームメイトは常にファミリー。

    コービーとシャックは
    性格も考え方もバスケへの取り組み方も全てが真逆でした。

    3連覇を達成しましたが、
    2人の仲は最悪で、ロッカールームはお通夜状態だったそうです。

    3連覇から2年後
    シャックがヒートに移籍して、レイカーズ王朝は完全に崩壊しました。

    しかし、コービーが引退する頃には
    家族ぐるみの付き合いをしています。

    雪解けは意外な形でした。

    2012年現役最高のセンター
    ドワイト・ハワードがレイカーズに移籍。

    コービーは
    ハワードを自身の後継者として哲学を徹底的に教え込むつもりでいました。

    しかし、
    ストイックすぎるコービーにハワードはドン引きしてしまいます。

    シャックの偉大さに気づいたコービーは、とある試合後シャックと2人きりで話し、
    シャックがいかに偉大だったかを、ハワードと組んでみて初めて本当に理解したと伝えたそうです。

    シャックもハワードのことを認めていなかったこともあり、
    お互い歩み寄ります。


    6. スキャンダル

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    コービーは
    レイプをされたとして訴えられています。

    2003年6月30日
    ホテルの女性従業員が膝の治療のため同ホテルに滞在していたコービーにレイプされたとして訴えました。

    コービーは逮捕されましたが直ちに釈放。

    コービーの言い分
    女性を自室に呼び、相手の同意を得てキス、セックスをしたことは認めるが、あくまで同意の上でのことと主張。

    女性従業員の言い分
    キスと抱擁は同意の上だったが、それ以上は「NO」と言ったにもかかわらず、コービーに腕を捕まれて首をしめられ、イスに顔を押しつけられてレイプされたと主張。

    NBA屈指のスーパースターだったコービーは
    スキャンダルには無縁の選手でした。

    この事件以後
    試合では大ブーイング、コートを離れれば裁判所に出廷と肉体的にも精神的にも追い込まれます。

    しかし、コートに立てば一流のNBA選手。
    集中力を切らさず、一流選手らしいプレイを披露します。

    結末としては
    訴えた女性が同時期に、コービー以外にも3日間に3人の別の男性と肉体的関係を持っていた事も発覚し、当初から芸能人志望でオーディション番組に出場歴があった事も報道され、証言にも矛盾する点が多々見られたため、結局この事件は、2005年オフに示談となりました。


    7. まとめ

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    現役生活20年全てをバスケに捧げたコービー。

    時には批判されることもありましたが、
    紛れもなくスーパースターでした。

    引退後は
    父親として家族との時間を過ごすことを大事にしていました。

    NBAから距離をとっていましたが、
    ジジちゃんがきっかけとなって度々アリーナで観戦する姿を見かけるようになります。

    ジジちゃんは
    将来有能なバスケ選手になろうとしていました。

    コービーは
    多忙の中、ジジちゃんに直接指導していきます。

    そして、家族と仕事を両立させるために
    ヘリコプターを使用。

    移動時間を短縮させるためです。

    家族を思う気持ちが今回の事故に繋がってしまいます。

    半年前、
    世界中でコービーの追悼式が行われました。

    もちろん
    NBAでもです。

    ジョーダンを追い続けたコービーのように
    コービーを追い続けた選手が現在コート上で活躍しています。

    コービー・ブライアントという偉大すぎるスターは亡くなりましたが、
    コービー・ブライアントの意思はNBAのコート上にあります。

    コービーブライアントの背番号#24の記事はこちら↓
    レイカーズ背番号#24の生き様(後編)~コービー・ブライアント~

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    NBAの人気選手といえばマイケル・ジョーダン。その逆の選手といえばビル・レインビアでしょう。

    最恐最悪チーム、バッドボーイズの一員としてデトロイトのファンからは絶大の人気でしたが、他のチームの選手やファンからは忌み嫌われました。

    ついたあだ名は“Public Enemy(公共の敵)”、更には「ヒットラー、スターリン、レインビア」と言われるほどです。

    本日はNBAの歴史において最も嫌われた男、ビル・レインビアを見ていきましょう。


    【テーマ】

    NBAの歴史において最も嫌われた男
    ~ビル・レインビア~


    no title


    目次
    1. 悪行

    2. 受賞歴

    3. 意外な生い立ち

    4. WNBAでは優秀なコーチに

    5. まとめ



    1. 悪行


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    1980年後半から1990年前半にかけてNBAを席巻したチームがありました。

    その名も『バットボーイズ』


    バッドボーイズの記事↓
    最恐で最強の人気チーム~ピストンズのバッドボーイズ~

    バッドボーイズの中でも兄貴分的な存在だったのが

    ビル・レインビアです。


    地元デトロイトでは
    最高のヒーローでしたが、

    デトロイト以外では、
    評判は最悪でした。


    ついたあだ名は

    Public Enemy(公共の敵)

    更には「ヒットラー、スターリン、レインビア」と言われるほどです。


    必要以上のボディコンタクト
    相手を潰すために行うラフプレイ
    審判が見ていないところでの肘打ち、ラリアット、顔面へのパンチ


    no title


    Public Enemy(公共の敵)のプレイは

    多くの乱闘を引き起こしました。


    悪行が目立ちますが、

    3年連続でオールスターに選ばれるほどの有数のセンターでもありました。

    平均ダブルダブル
    当時では珍しいセンタの選手が長距離シュートが得意
    リバウンド王も獲得


    選手としても優秀だったのにも関わらず、

    数々の悪行。腹立たしいですね。


    NBAの中にはヒールを演じる選手がいますが、

    レインビアは本物でした。


    ファンサービスにつても、

    サインをねだる子供に対しどう喝して追い払ったり、
    マスコミに対しても敵意満々でぶ然とした態度をとる等

    まるで、試合後のプロレスラーのような感じだったそうです。


    ちなみに、

    バッドボーイズの危険なスタイルを問題視したNBAは、ルールを改正しファールの基準と乱闘処分を厳しくしました。


    レインビアの最恐最悪のプレイをご覧ください。

    Bill Laimbeer - Captain Chaos

    (出典 Youtube)



    2. 受賞歴


    no title


    永久欠番: ピストンズ#40

    2×NBAチャンピオン:1989-1990

    リバウンド王:1986

    4×NBAオールスターゲーム出場:1983-1985, 1987

    〇基本情報

    身長: 211㎝

    体重: 120㎏

    所属チーム 
    キャバリアーズ: 1980-1982
    ピストンズ: 1982-1993
         
    ポジション: センター

    出身: アメリカ(マサチューセッツ州ボストン)

    ドラフト: 1979年 19位



    3. 意外な生い立ち


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    レインビアが乱暴なプレイをする理由として

    レインビアの父が大会社の重役でNBAを首になっても金銭面で困らないと言われています。

    ※理由は定かではありません。


    エリートの息子として育ち

    進学校の高校に進学したレインビアは上位10人に入るほど優秀な成績を修めていました。


    しかし、

    受験勉強から解放された大学生活では学業を疎かにしてしまい退学処分になります。


    そして、父のコネで短期大学に入学します。

    そこからは改心し、2年生の時に大学に戻りました。

    大学卒業後、

    キャバリアーズに3巡目65位でドラフトされましたが、待遇や金銭面の条件が良くありません。


    レインビアは

    単身イタリアに渡ることを決意します。


    イタリアでは

    21.1得点12.5リバウンドを記録し、晴れてドラフト19位でキャバリアーズに入団します。



    4. WNBAでは優秀なコーチに


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    3×WNBAチャンピオン:2003, 2006, 2008

    2×WNBA最優秀コーチ賞:2003, 2015


    引退後、2002年に

    デトロイトのWNBAチームのデトロイト・ショックに補佐役として招へいされます。


    しかし、

    開幕して10戦全敗してしまったショックはレインビアをHCに任命しました。


    レインビア就任後は

    8勝7敗と立て直しに成功します。


    翌シーズンは

    25勝9敗でリーグ優勝、プレイオフでも勝ち進み優勝しました。


    レインビアは

    チームを初優勝に導き、最優秀監督賞を獲得します。


    2013年からはかつて盟友だったアイザイア・トーマスが球団社長を務めている

    ニューヨーク・リバティの監督に就任。


    2017年には

    ラスベガス・エースズの球団社長及び監督を務めています。


    NBAでは極悪非道で有名になりましたが、
    WNBAでは、名実ともにいい意味で有名となりました。



    5. まとめ


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    NBAの人気選手といえばマイケル・ジョーダン。その逆の選手といえばビル・レインビアでしょう。

    最恐最悪チーム、バッドボーイズの一員としてデトロイトのファンからは絶大の人気でしたが、他のチームの選手やファンからは忌み嫌われました。

    ついたあだ名は“Public Enemy(公共の敵)”、更には「ヒットラー、スターリン、レインビア」と言われるほどです。

    NBAの歴史において最も嫌われたチーム

    バッドボーイズ


    そのチームの兄貴分

    ビル・レインビア


    現在においても

    デトロイトにおいては英雄です。


    マイケル・ジョーダンもバッドボーイズには苦しめられました。

    プレイオフでバッドボーイズに勝てなかったジョーダンは

    チームプレイを身につけます。


    バッドボーイズがいなければ

    ブルズの2度のスリーピート(3連覇)はなかったかもしれません。


    ジョーダン(ブルズ)がバッドボーイズをプレイオフで下した時、

    本当の意味でジョーダンの時代になりました。


    悪役がいてからこそ

    スパースターが引き立ちます。


    最高の引き立て役となったバッドボーイズ。
    今思えば、なくてはならない存在となっています。


    no title


    レジー・ミラーは初代ザ・シューターと呼ばれる選手です。

    試合終盤にめっぽう強く、その活躍ぶりは「偉大なシューターで史上最高のクラッチプレイヤー」と呼ばれました。

    トラッシュトーカー(相手選手を挑発する発言)としても有名で、あのマイケル・ジョーダンと乱闘騒動を起こしたことでも有名です。

    ペイサーズひと筋18年、ヒールを演じ続け、ホームでは「ヒーロー」、アウェイでは「悪魔」となり、NBAを盛り上げました。

    本日は偉大なシューターで史上最高のクラッチプレイヤーと呼ばれたレジー・ミラーを見ていきましょう。


    【テーマ】

    偉大なシューターで史上最高のクラッチプレイヤー
    ~レジー・ミラー~


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    目次
    1. ミラータイム

    2. 受賞歴

    3. マイケル・ジョーダンとの乱闘

    4. 生き様


    5. まとめ


    1. ミラータイム

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    奇跡的な逆転劇を何度も披露し、相手に悪夢をお届けする試合終了間際のことを、
    「ミラータイム」と呼ばれました。

    今回は「ミラータイム」の代表的試合を2試合紹介します。
    ・1994年カンファレンス決勝第5戦vsニックス
    ・1995年カンファレンス2回戦第1戦vsニックス

    〇1994年カンファレンス決勝第5戦vsニックス
    第4Q開始前58-70でペイサーズは12点ビハインドでした。

    そして、「ミラータイム」が発動します。

    第4Q開始時お祭り状態だったマディソン・スクエア・ガーデンは徐々に沈黙していきます。

    終わってみれば93-86でペイサーズが見事な逆転を果たします。

    試合終了間際は完全に葬式状態。

    ミラーは5本の3Pシュートを含む25得点を叩き出し、
    ニックスに悪夢をプレゼントしました。



    〇1995年カンファレンス2回戦第1戦vsニックス
    翌年のプレーオフでも両者は対戦します。

    その第1戦またも「ミラータイム」が発動します。

    試合終了18秒前、99-105でニックスが6点リード
    まず、ミラーが3Pシュートを決めます。

    ミラーがニックスのパスをスティール

    ミラーが3Pシュートを決めます。

    ニックスがFTを2本外します。

    ミラーがFT2本を決めます。

    試合終了!!

    ミラーは18秒で8得点を叩き出し、
    ニックスに悪夢を届けました。



    「偉大なシューターで史上最高のクラッチプレイヤー」
    と言われるゆえんをいかんなく発揮した瞬間です。



    2. 受賞歴

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    殿堂入り: 2012

    永久欠番: ペイサーズ#31

    5×NBAオールスターゲーム出場:1990, 1995-1996, 1998, 2000

    フリースロー成功率1位 : 2005

    オールNBAチーム
     3×3rdチーム:1995-1996, 1998

    〇基本情報

    身長: 201㎝

    体重: 88㎏

    所属チーム ペイサーズ:1987-2005
         
    ポジション: シューティングガード

    出身: アメリカ(カリフォルニア州リバーサイド)

    ドラフト: 1987年 11位


    3. マイケル・ジョーダンとの乱闘

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    ミラーはトラッシュトーカーでも有名です。

    ※トラッシュトーク・・・相手を挑発する発言

    もちろん神様ことジョーダンにも容赦なくトラッシュトークを浴びせました。

    ※実はジョーダンもトラッシュトーカーとして有名です。

    とある試合、2人のトラッシュトークは度を過ぎてしまいます。

    そして、神様が切れて大乱闘に発展します。

    ※トラッシュトークの内容が明らかにすることができないほど、陰湿なトーク合戦だったのでしょう。

    神様もまだ若かったが、

    神様を本気で切れさせたのはミラーぐらいでしょう。

    MJ vs REGGIE MILLER (MJ乱闘)

    (出典 Youtube)

    更に。。。
    スポーツには「ホームアドバンテージ」という言葉があります。

    ホーム試合の方がファンの歓声等、アウェイではブーイング等あるので
    普通の選手は
    「ホーム」の方がいいパフォーマンスを発揮しやすい

    と言われていますが、

    ミラーは
    「アウェイ」の方がいいパフォーマンスをします。

    なぜなら。。。
    ブーイングこそがミラーの力の源なのです。

    ミラーは人の神経を逆なでする天才だったので、

    ホームでは「ヒーロー」、アウェイでは「悪魔」

    になりました。

    人の神経を逆なでしてブーイングを起こし、そのブーイングを力に変える、
    ミラーはヒール役としても天才でした。

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    先ほど紹介したミラータイムを発揮した1994年のニックス戦はアウェイゲーム。

    ニックスファンで有名なスパイク・リーと試合中激しいトーク合戦を演じました。

    ※スパイク・リー・・・映画監督

    ミラーは
    スパイク・リーに対して首を絞めるジェスチャーをしたのです。

    そのジェスチャーは「ミラーのプレッシャーにニックスが負けた」という表現になりました。

    観客ともトラッシュトークを演じるミラー

    ぶっ飛んでます。

    ※プライベートでは一緒にCMに出演するほど2人は仲良しです。


    4. 生き様

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    ミラーには他の選手が持ち合わせていない2つのこだわりがありました。
    ・フランチャイズプレイヤー
    ・挑戦者

    〇フランチャイズプレイヤー
    18年間ペイサーズ一筋でプレイしました。

    2000年にペイサーズにとっても、ミラーにとっても初のファイナル進出を果たします。

    しかし、レイカーズに敗れてしまいチームは再建に移行します。

    ペイサーズのフロントはミラーにトレードの打診をしましたが、

    ミラーは一言
    「俺はペイサーズで優勝する」と返したそうです。

    フロントもベテランになったミラーを放出したかったわけでなく、
    引退する前に優勝候補のチームでプレイすることを望むのが普通だったので打診しました。

    1つのチームで全てを全うしたミラーはインディアナの英雄です。


    〇挑戦者
    ミラーがプレイした年代はジョーダンの年代です。

    数多くの挑戦者が神に挑み敗れました。

    ミラーも敗北しましたが、ミラーは他の選手とは違います。

    神様は神様です。

    対戦相手は試合前に心のどこかで負けを受け入れていました。

    しかし。。。
    ミラーは違いました。
    本気で神を倒しにいったのです。

    その証拠にジョーダンが2度の3連覇を果たした際、本当の意味でジョーダンを追い込んだのもミラー率いるペイサーズでした。

    ミラーは闘争心の塊と言われていたジョーダンに並ぶほどの、闘争心を持ち合わせていたのです。

    ジョーダンを追い込んだシリーズの第4戦、劇的な逆転シュートを決めます。

    ※足の状態は悪く、激痛に襲われているにも関わらず体全身で喜びを表現しました。


    5. まとめ

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    レジー・ミラーは試合終盤にはめっぽう強く、その活躍ぶりは「偉大なシューターで史上最高のクラッチプレイヤー」と呼ばれました。

    トラッシュトーカー(相手選手を挑発する発言)としても有名で、あのマイケル・ジョーダンと乱闘騒動を起こしたことでも有名です。

    ペイサーズひと筋18年、ヒールを演じ続け、ホームでは「ヒーロー」、アウェイでは「悪魔」となり、NBAを盛り上げました。

    ミラーの身体能力は決して高くありませんが、持ち前の闘争心とシュートセンスで「ミラータイム」という絶対的なクラッチシューターとして名を轟かせます。

    マイケル・ジョーダンと同じ時代にプレイしたので、1番にはなれませんでしたがシューターとして地位を確立します。

    現在、NBAのゲームプランは3Pシュートを主軸として組み立てられています。

    その礎となった選手、レジ―ミラー。

    トラッシュトークは置いといて。。。

    本物のバスケットボールプレイヤーです。

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    歴代最高のデュオはジョーダン&ピッペン、シャック&コービー等いますが、歴代最高のコンビはジョン・ストックトン&カール・マローンと言う人が多いと思います。

    P&R(ピック&ロール)を最大の必殺技として、

    ストックトン(郵便局長)がパスをだし、マローン(メールマン)が決めるというシンプルな戦術でNBAを席巻しました。

    しかし、最高のアシスト王と90年代の得点王をもってしても、あの男が立ちはだかりチャンピオンになることは叶いません。

    本日は歴代最高のコンビのメールマン、カール・マローンを見ていきましょう。

    ジョン・ストックトンの記事はこちら↓
    史上最高のコンビ~ジョン・ストックトン編~


    【テーマ】

    史上最高のコンビ~カール・マローン編~


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    目次
    1. ジョーダンへの挑戦

    2. 受賞歴

    3. 通算得点

    4. 
    鉄人コンビ

    5. 優勝リングを求めて

    6. まとめ


    1. ジョーダンへの挑戦

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    毎年プレーオフに進出するも優勝はおろかファイナル進出もありませんでした。

    〇1996-97シーズン
    カンファレンス決勝試合終了間際、ストックトンが放ったシュートはチャールズ・バークレーの頭上を越え、試合終了のブザーと共にリングを通過しました。

    寡黙で有名なストックトンは初めて喜びを爆発させた瞬間と言われています。

    ファイナルの相手は最強ブルズ

    第1戦残り9秒同点の場面、マローンはFTを獲得しましたが、

    ピッペンがマローンに

    「郵便配達員の日曜日はお休みだよ」

    と耳元でささやいたそうです。

    マローンは動揺したのか2本のFTとも外し、最後はジョーダンに決められてしまいます。

    第5戦はジョーダンは食中毒で絶不調だったのにも関わらず38得点を叩き出し負けてしまいます。

    ジャズは2勝4敗でシリーズを落としましたが

    ピッペンが「これまで戦ってきた相手の中で一番タフなチームだった」と言うように毎試合接戦でした。


    翌シーズン、リベンジのチャンスがやってきます。

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    〇1997-98シーズン
    第6戦86-85ジャズ1点リードで迎えた残り22秒

    マローンはストックトンからパスを受け取った瞬間、死角から近づいたジョーダンがマローンからボールを奪います。

    そして、残り5秒ジョーダンの放ったシュートは

    THE LAST SHOT(ザ・ラストショット)

    と言われています。

    この試合を最後にマローンとストックトン共にファイナルに進出を果たすことはありませんでした。

    2. 受賞歴

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    殿堂入り:2010

    永久欠番:ジャズ#32

    2×MVP:1997, 1999

    14×NBAオールスターゲーム:1988-1998, 2000-2002

    2×NBAオールスターゲームMVP:1989, 1993
     (1993年ジョン・ストックトンと同時受賞)

    オールNBAチーム
     11×1stチーム:1989-1999
     2×2ndチーム:1988, 2000
     3rdチーム:2001

    NBAオールディフェンシブチーム
     3×1stチーム:1997-1999
     2ndチーム:1988

    〇基本情報

    愛称: メールマン

    身長: 206㎝

    体重: 120㎏

    所属チーム: ジャズ1985-2003 レイカーズ2003-2004
         
    ポジション: パワーフォワード

    出身: アメリカ(ルイジアナ州サマーフィールド)

    ドラフト: 1985年 13位


    3. 通算得点

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    マローンは通算得点において歴代2位に位置しています。

    than those admitted into the NBA in 1976 are not included; each year is linked to an article about that particular NBA season. ^ Games played in prior
    58キロバイト (174 語) - 2020年4月18日 (土) 05:22

    歴代2位の得点を誇っても得点王に輝いた年はありません。

    もちろんマイケル・ジョーダンがいたからですが。。。

    しかし、功績がないわけではありません。

    マローンは誰も成しえていない
    11年連続シーズン2,000得点
    を達成しています。

    ロックアウトだったため12年、13年連続は叶いませんでしたが、
    12度のシーズン2,000得点
    を達成しました。

    2,000得点を10シーズン達成しているのは
    マイケル・ジョーダン(11回)
    レブロン・ジェームス(10回)

    通算得点ランキング上位陣
    カリーム・アブドゥルジャバー(9回)
    コービー・ブライアント(8回)
    ダーク・ノヴィツキー(4回)
    ウィルト・チェンバレン(6回)

    現役選手
    ケビン・デュラント(6回)
    ジェームス・ハーデン(7回)今シーズン含

    この数字を見るだけでもマローンの凄さと安定感が分かります。

    更に1990年代の得点王でもあります。
    1位20,925得点カール・マローン
    2位16,178得点ミッチ・リッチモンド

    2010年代は
    ジェムス・ハーデンの19,578得点です。

    この10年のハーデン以上の得点能力を持っていたことが分かります。

    マローンはフリースロー試投数と成功数の記録を持っています。

    〇理由
    ・ボディビルダーのような体を止めるためにはファールしかなかった事
    ・フリースローが苦手だったことから

    フリースロー成功率、キャリア初期は5割程度でどうしようもありませんでしたが、キャリア終盤には7割5分ほどにまで改善されました。

    ※平均FT成功率は77%(2019-20シーズン)

    フリースロー試投数と成功数がリーグトップになったシーズンが7回あり、通算試投数と成功数で歴代1位の記録を持っています。

    フリースロー試投数
    1.カール・マローン(13,188)
    2.ウィルト・チェンバレン(11,862)
    3.シャキール・オニール(11,252)

    フリースロー成功数
    1.カール・マローン(9,787)
    2.モーゼス・マローン(8,531)
    3.コービー・ブライアント(8,378)


    4. 鉄人コンビ

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    ストックトンとマローンは「鉄人コンビ」としても有名でした。

    〇ストックトン
    ・現役の19シーズンのうち17シーズンは全試合に出場
    ・609試合連続先発出場のNBA記録
    ・歴代10位の通算出場時間(47,764分)

    〇マローン
    ・最後のシーズンを除く18年間で欠場したのは10試合のみ
    ・歴代2位の通算出場時間(54,852分)

    ストックトンは状況に応じた的確なプレーは故障を少なくしました。
    マローンは怪我をしにくい鍛え抜かれた肉体作り上げ保ち続けました。


    2人とも怪我に強かったのは事実でしたが、無理して強行出場もしていました。
    同じプロ選手からは
    「プロの鏡」

    ユタのファンからは
    「太陽が昇らない日があっても、ストックトンとマローンが試合に出ない日はない」

    と2人を讃えました。


    5. 優勝リングを求めて

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    マローンは
    18年連続172試合プレーオフを戦い抜きました

    が、1度もチャンピオンリングを手にすることはありませんでした。

    2003年にはストックトンが引退し、マローンに3つの選択肢が与えられます。
    ・ジャズで美しい引退
    ・他チームに移籍し優勝にチャレンジ
    ・通算得点1位を目指す

    マローンは18年在籍していたジャズから覇権奪還を目指していたレイカーズに移籍します。

    覚悟は相当なものでした。
    年俸1,900ドル→150ドル

    この年俸を見るだけでマローンの覚悟が分かります。

    ロケッツ、スパーズ、ウルブスを倒しファイナルに進出します。

    ファイナルはレイカーズvsピストンズ

    下馬評ではレイカーズが圧倒的有利と言われていましたが、

    レイカーズは1勝4敗で敗れてしまいます。

    これで、
    19年連続193試合プレーオフ出場も優勝できず

    ユニフォームを脱ぐ決断をします。


    6. まとめ

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    ジョン・ストックトンの記事はこちら↓
    史上最高のコンビ~ジョン・ストックトン編~

    P&R(ピック&ロール)を最大の必殺技として、

    ストックトン(郵便局長)がパスをだし、マローン(メールマン)が決めるというシンプルな戦術でNBAを席巻しました。

    マローンはイメージから身体能力が高いと思われがちですが、決して高くはありません。

    決して高くない身体能力を補うために、誰に対しても秘密にしていたトレーニングにより、

    足のような腕を持つ男

    と言われる体を作り上げ、保ち続けました。

    得点王には1度もなりませんでしたが、歴代2位の通算得点を持っているマローンは間違いなく評価されるべき選手です。

    1990年代はマイケル・ジョーダンがいました。

    アキーム・オラジュワンの記事でも言いましたが、
    ジョーダンの時代はナンバー1になれないナンバー2がたくさんいた時代です。

    ストックトン、マローン共にそのナンバー2です。

    アキーム・オラジュワンの記事↓
    華麗なるドリームシェイクで最強を手にした男~アキーム・オラジュワン~

    ジョーダンの眩しすぎる光に埋もれたストックトンとマローン

    しかし、2選手の功績は忘れてはいけません。

    メールマンとして歴代2位の36,928得点を叩き出したマローン。

    今後もNBAプレイヤーにメールマンとして技と精神を届けるでしょう。

    最後にメールマンのプレイをご覧ください。

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