NBAスポーツ速チャン

NBA好きです。2009年たまたまテレビに映ったコービーの姿に衝撃を受け、レイカーズの試合を中心にみるようになり、ブログを始めました。ただただNBA好きのおじさんです。NBAやBリーグの話題を2chからまとめて紹介しています。

    カテゴリ:NBA > 歴代選手

    ティム・ダンカン




    NBAはコービー・ブライアント(レイカーズ)、ティム・ダンカン(スパーズ)、ケビン・ガーネット(セルティックス他)ら9名の2020年バスケットボール殿堂入り選手を発表しました。


    コービー・ブライアント、ティム・ダンカン、ケビン・ガーネットら9名が殿堂入り
    …ィム・ダンカン、2008年にボストン・セルティックスを優勝に導いたケビン・ガーネットら9名が、2020年のバスケットボール殿堂入りメンバーに選ばれたと…
    (出典:スポーツ総合(NBA Rakuten))



    今回は殿堂入りしたティム・ダンカンについて見ていきましょう。


    【テーマ】

    ティム・ダンカンという男は


    no title




    【目次】

    1. ティム・ダンカンとは

    2. 獲得した主要アワード

    3. チームのエース時代(ツインタワー)

    4. チームのリーダー時代(フランチャイズプレイヤーとBIG3)

    5. チームのサポート役時代(怪我と衰え)

    6. まとめ




    1. ティム・ダンカン(ティミー)とは


    通称:ティミー

    ティミーは1997年ドラフト1位でスパーズに入団してから引退するまでの19年間をスパーズ一筋でプレーしてきたビックマンです。

    19年間連続でプレイオフ進出し、スパーズに5度のNBAチャンピオンをもたらしたスーパースター。

    ビック・ファンダメンタル”というニックネームを持ち、基本に忠実でチーム第一に考える堅実な選手としてスパーズの象徴的選手です。

    私生活においてもスーパースター感を全く表に出さず、「地味」というイメージが付きまとうが、史上最高のパワーフォワードとして呼び声も高い。


    2. 獲得した主要アワード


    【アワード】



    ・NBAチャンピオン:1999,2003,2005,2007,2014

    ・シーズンMVP:2002,2003

    ・ファイナルMVP:1999,2003,2005

    ・オールスターMVP:2003

    ・新人王:1998

    ・オールNBA
    1stチーム:1998,1999,2000,2001,2002,2003,2004,2005,2007,2013
    2ndチーム:2006,2008,2009
    3rdチーム:2010

    ・オールディフェンシブ
    1stチーム:1999,2000,2001,2002,2003,2005,2007,2008
    2ndチーム:1998,2004,2006,2009,2010,2013

    ・オールスター選出:15回 1998,2000~2011,2013,2015


    【歴代記録】



    ・シーズン ダブルダブル達成試合数 830試合 歴代1位

    ・プレーオフ ダブルダブル達成試合数 164試合 歴代1位

    ・18年連続リバウンド500以上 歴代1位

    ・同一チームにおけるシーズン勝利数 954勝 歴代1位

    ・オールNBA チーム、オールNBAディフェンシブ両方選出 13年連続 歴代1位

    ・オールNBA チーム 15回選出 歴代1位

    ・オールディフェンシブ 15回選出 歴代1位


    2. スパーズ入団前


    少年期はバスケットとは無縁で、兄弟の影響で水泳に取り組んでいたが、ハリケーンで島に唯一あった競技用のプールが使用不能になり、水泳に対して情熱を失ってしまいました。

    中学校3年生の時義理の兄弟の影響でバスケットを始めます。

    ティミーが高校在学時に島に訪れてきたNBAのスパースターのアロンゾ・モーニングと試合する機会があり、その試合がきっかけでウェイク・フォレスト大学に進学しました。

    大学3年時にはチームのリーダーとして、2年連続で最優秀守備選手賞とACC年間最優秀選手、オールアメリカ1stチームに選ばれ、周囲からはNBA入りを勧められたが、亡き母の言葉を信じ大学卒業後からNBA入り目指しました。

    4年生時には大学バスケのタイトルを総なめにし、ドラフト1位が確実視されます。


    3. チームのエース時代(ツインタワー)


    no title




    ドラフト1位でスパーズに入団し、デビット・ロビンソンと共にツインタワーを結成するとティミーのショータイムが始まりました。

    昨シーズン20勝のみだった勝利数を56勝にまで押し上げ、ルーキーながら平均21.1得点2.7アシスト11.9リバウンド2.5ブロックの成績を残し、オールNBA1stチームとオールディフェンシブ2ndチームに選ばれる快挙を達成。

    ルーキーながら、NBAトップ5選手及びディフェンス力トップ10に入りました。



    2年目になると、ロビンソンがチームの主役をティミーに譲り、サポート役に回ります。

    プレイオフに進出したスパーズはツインタワーで他を圧倒し、ファイナルではパトリック・ユーイングが怪我で離脱していたニックス相手に4勝1敗でスパーズが史上初のチャンピオンに輝きます。

    ティミーはシリーズ平均27.4得点14.0リバウンドを記録しNBA2年目にしてファイナルMVPの称号を手にします

    2年目でのファイナルMVP受賞はカリーム・アブドゥル=ジャバーと並ぶ記録。
    マジック・ジョンソンはルーキーイヤーに受賞


    1999-00から2001-02シーズンまではシャキール・オニール、コービー・ブライアント擁するレイカーズに3連覇を許し苦汁を飲む形となってしまいます。

    ティミー個人としては2001-02シーズンを迎えるころに絶頂期を迎え、キャリヤ唯一となる平均40分以上出場しキャリアハイの平均25.5得点を記録しシーズンMVPを獲得。


    翌シーズンも平均23.3得点の他、キャリアハイとなる平均12.9リバウンド3.9アシスト2.9ブロックを記録し、2年連続MVPを受賞しました。

    プレイオフでは宿敵レイカーズを破り、ファイナルではジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツと対戦するが絶頂期のティミーを止める術がなく、4勝2敗で4年ぶり2回目の優勝を飾りました。

    ファイナル平均24.2得点5.3アシスト17.0リバウンド5.3ブロックの圧倒的な記録を残したティミーは2度目のファイナルMVPを受賞。

    この年のオフにデビット・ロビンソンが引退し、NBAデビューから6年間続いたツインタワー時代の終焉を迎えました。


    4. チームのリーダー時代(フランチャイズプレイヤーとBIG3)


    ロビンソンが引退し、チームのリーダーとして期待がかかっていたティミー、しかしシーズンが始まる前にチームリーダーという重責を担うことに抵抗を示しました。

    チームはまとまらず、プレイオフ2回戦のレイカーズ戦でスイープ(4連敗)での敗退。


    翌シーズンは怪我の影響で試合数、プレイタイム共に過去最低でしたが、ベンチから試合を見る時間がティミーをリーダーとして自覚させました

    プレイオフのカンファレンス決勝ではスティーブ・ナッシュ擁するオフェンス力のサンズを相手にディフェンス力のスパーズはハイスコアゲームを展開し、ファイナル進出を果たします。

    ファイナルでは連覇のかかるピストンズとの対戦となり2人のウォーレンス相手に苦戦しましたが、ジノビリ等の活躍により3度目の優勝を飾り、3度目のファイナルMVPを獲得しました。


    マジック・ジョンソン、マイケル・ジョーダン、シャキール・オニールに続く史上4人目の受賞(レブロン・ジェームスが後に5人目となる)



    試合後ポポヴィッチHCは「彼は偉大な選手達のようにチームを引っ張り勝利に導いた」とティミーを称賛。

    この言葉はティミーがスパーズのリーダーとして最高の賛辞となりました。



    連覇がかかった翌シーズンは怪我で苦しんだが、スパーズはかつてない勢いで勝ち続けました。

    かつてロビンソンがティミーにエースの座を譲ったように、ティミーもパーカーにエースの座を譲ったシーズンでもあります。

    no title




    プレイオフに入るとティミーは本来の姿を取り戻すような活躍をし、カンファレンスファイナルではダーク・ノビツキー擁するマーベリックス相手に第7戦の延長戦にまでもつれる大激戦の末惜敗。


    10年目となる2006-07シーズンではオールNBA1stチームに復帰し、久しぶりにシーズンを通してティミーの活躍を見れたシーズンとなりました。

    レギュラーシーズン圧倒的な勝率を残したダラスマーベリックスがまさかの1回戦負けにより、2回戦のサンズ戦が事実上の優勝決定戦になりました。

    乱闘騒ぎも発生するほどの荒れた試合になりましたが、4勝2敗で制すると、そのままの勢いでファイナルではレブロン・ジェームス擁するキャバリアーズ相手にスイープ(4連勝)で圧倒。

    スパーズとティミーは4度目の優勝を果たします。

    ファイナルMVPにはティミーではなくトニー・パーカーが選ばれましたが、ティミーの評価はMVPを受賞した時と何も変わりませんでした


    2007-08年4度目の連覇への挑戦シーズンは、平均19.3得点10.7リバウンドという成績を残し、ディビジョンン1位でプレイオフへ。

    プレイオフ1回戦、2回戦の激闘を制し、カンファレンス決勝ではコービー・ブライアントとパウ・ガソル擁するレイカーズに圧倒され連覇の夢は断たれてしまいます。


    5. チームのサポート役時代(怪我と衰え)


    2008-09シーズン、膝に慢性的な故障を抱えながらも平均19.3得点10.7リバウンドの記録を残しました。チームの高齢化に加え、ジノビリも故障を抱えた状況にも関わらず、ディビジョン1位に。

    しかし、チームに勢いをつけることができず2000年以来のプレイオフ1回戦負けという屈辱を味わいました。


    2009-10~2011-12の3シーズンはポポヴィッチHCがプレーオフに向けレギュラーシーズンの徹底的なプレータイムの管理を行います。


    後にロードマネージメントと言われ現在では賛否が分かれています。


    ロードマネージメントとは↓
    カワイ・レナード怪我か!それとも……

    しかし、万全で臨んだはずだったプレイオフもカンファレンス2回戦、1回戦、カンファレンス決勝で敗退してしまいます。

    2012-13シーズンは久しぶりにファイナルに進出し、BIG3のマイアミ・ヒートと対戦しました。


    ※BIG3
    ・レブロン・ジェームス
    ・ドウェイン・ウェイド
    ・クリス・ボッシュ


    これまでファイナルに進出すれば必ず勝っていたスパーズでしたが、初めて敗退することになります。

    最終戦の勝負所でティミーはティップショットを外し、ファイナル初の敗退となり、ティミーは「生涯忘れることはないだろう」と語りました。

    ティップショットを外した際にティミーは感情を露わにし、フロアーを叩いて悔しがりました。


    この出来事は奇しくもティミーにとってコート上で感情を露わにした最初で最後の出来事となりました。



    2013-14シーズン、昨シーズン取り損ねたチャンピオンリングを獲得するためにスパーズは再びファイナルに戻ってきました。

    no title




    昨年と同じカードとなったヒート戦、ティミーはプレーというよりも気持ちでチームを奮い立たせ覇権を奪還

    5度目のチャンピオンになったティミーは過去4度よりも喜びを表に出していた気がします。

    ファイナルMVPには現在リーグ屈指のスーパースターのカワイ・レナードが獲得

    no title




    シーズン終了後引退が囁かれていたが、スパーズの一員としてその後2シーズンに渡り活躍。


    2016年7月11日スパーズは記者会見を開きティミーの現役引退を発表。

    19年間に及ぶ選手生活に終止符を打ちました。

    no title




    現在は恩師ポポヴィッチHCの下、アシスタントコーチとしてスパーズの一員として活躍しています。


    6. まとめ


    2020年のNBA殿堂入りの3選手はコービー・ブライアント(レイカーズ)、ティム・ダンカン(スパーズ)、ケビン・ガーネット(セルティックス他)です。

    3選手には共通点があります。

    3選手とも圧倒的なリーダーシップを発揮したという事です。

    3選手がいなければレイカーズ、セルティックス、スパーズにチャンピオンリングをもたらすことは不可能だったでしょう。


    もちろん、相違点もあります。

    コービーは感情を表に出し何を犠牲にしても勝利への執念をみせ、常にナンバー1であり続けました。

    KGは感情を表に出しながらもセルティックスBIG3結成においてサポート役に徹しました。

    ティミーは感情を内に秘め、新しいエースが頭角を現すとサポート役に徹しました。



    3選手とまぎれもなくスパースターです


    皆さんは誰のファンですか?


    私はコービーのファンなので3選手の内1人を選ぶとしたらコービー一択です。


    最後に。。。

    KGは先日のインタビューでティミーも生粋のトラッシュトーカーだと発言しました。

    ティミーのトラッシュトークは相手がミスした際励ます感じだったそうです。

    例・・・「どんまい」、「惜しい」等です。

    トラッシュトーク好きの皆さん、ティミーのトラッシュトークを試してみるのもありかもしれません。



    ※トラッシュトーク・・・試合中に試合中にダーティーな言葉で相手を挑発し、心理面を揺さぶること




    no title



    NBAはコービー・ブライアント(レイカーズ)、ティム・ダンカン(スパーズ)、ケビン・ガーネット(セルティックス他)ら9名の2020年バスケットボール殿堂入り選手を発表しました。

    コービー・ブライアント、ティム・ダンカン、ケビン・ガーネットら9名が殿堂入り
    …ィム・ダンカン、2008年にボストン・セルティックスを優勝に導いたケビン・ガーネットら9名が、2020年のバスケットボール殿堂入りメンバーに選ばれたと…
    (出典:スポーツ総合(NBA Rakuten))




    今回は殿堂入りしたケビンガーネットについて見ていきましょう。


    【テーマ】

    ケビン・ガーネットの生き様



    no title




    【目次】

    1. ケビン・ガーネットとは

    2. 獲得した主要アワード

    3. 高校時代

    4. ウルブス時代

    5. セルティックス時代

    6. ネッツ・ウルブス時代

    7. まとめ




    1. ケビン・ガーネット(KG)とは


    通称:KG

    1995年から2016年までの21シーズンNBAのトップを走り続けて引退したKG。闘志をむき出しにしたプレイスタイルは見るものを魅了し、ファンに愛され続けてきました。

    KGの得点力もさることながら、ペイント内でのディフェンス力は圧巻でした。

    最優秀守備選手を獲得し、・オールNBAディフェンシブ 1stチームには9度選出されています。


    何と言ってもKGと言えばトラッシュトークでしょう

    ※トラッシュトーク・・・試合中に試合中にダーティーな言葉で相手を挑発し、心理面を揺さぶること



    KGのトラッシュトークで数々の伝説を残しており、若手はもちろん、ベテラン選手やインターナショナル勢まで、その被害者は数知れず。対戦相手だけでなく、チームメイトを泣かせたこともあるらしい。



    2. 獲得した主要アワード



    【アワード】



    ・NBAチャンピオン:2008

    ・リバウンド王(1試合平均): 2004(13.9), 2005(13.5), 2006(12.7), 2007(12.8)

    ・年間最多リバウンド:2004(1,139), 2005(1,108)

    ・年間最多得点: 2004(1,987)

    ・年間最多フィールドゴール成功: 2004(804)

    【受賞歴】


    ・シーズンMVP:2004

    ・最優秀守備選手賞: 2008

    ・オールスター選出:14回 1997, 1998, 2000~2011, 2013

    ・オールスターMVP:2003

    ・オールNBA
    1stチーム:2000, 2003, 2004, 2008
    2ndチーム:2001, 2002
    3rdチーム:1999, 2007

    ・オールNBAディフェンシブ
    1stチーム:2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2008 , 2009 , 2011
    2ndチーム:2006, 2007 , 2012

    ・オールルーキー2ndチーム:1996



    3. 高校時代


    no title




    少年時代マジックジョンソンに強いあこがれを持ちバスケットを始めるが、クラブチームに所属することはありませんでした。

    マーディン高校に入学すると初めてチームに所属し、組織化された経験をしたことによって、よりバスケットにのめりこむことになります。

    3年生時には平均27得点17リバウンド7ブロックという驚異的きなスタッツを残し、チームの優勝に導く活躍をしていました。

    しかし、1994年の5月に校内において黒人と白人の乱闘事件が発生し、偶然にもその場に居合わせてしまったガーネットは逮捕され、これまで築き上げてきた評価を一瞬にして壊される結果となってしまった。

    さらに、親友を交通事故で亡くしてしまい失意のどん底にいたKGはさらにバスケットにのめりこんでいき、評価をもう一度築き上げるためにシカゴのファラガット高校で再出発をする決意をしました。

    ファラガット高校での再出発は大成功となり、NBAからも注目されるようになったKG。

    しかし、新たな問題が。。。

    当時は大学でのドラフトが当たり前の時代。しかし、学業よりバスケットを優先していたKGは大学の進学に必要な成績が足りず大学進学高卒でのNBA挑戦で大きく揺れていましたが、学業に時間を費やすくらいなら、バスケットに注ぎたいという事で、

    KGは20年ぶりに高卒でのNBA入りを決意し、

    ドラフト5位でウルブスに入団を果たす。

    no title



    今では高卒でのNBAエントリーはできないが、KGの影響でコービー、アマレ、レブロン、ハワードが高卒からNBA入りを果たしている。




    4. ウルブス時代


    no title




    1995年に入団したKG、ルーキーシーズンの当初はベンチを温める時間が長かったが、サンダースHC(現ウルブスHCの父親)に変わると先発に抜擢されダブルダブルを量産し、平均10.4得点1.8アシスト6.3リバウンドでオールルーキー2ndチームに抜擢されました。

    2年目の1996-97シーズンでは先発に定着し、プレイオフに進出。1回戦で負けてしまったがKGの評価はさらに上がります。

    しかし、この年から7年連続プレーオフ1回戦負けという屈辱を味わうことになる。

    キャリア6年目には毎年のようにプレーオフ1回戦で敗退していたKGとウルブスは6年の大型契約を交わしましたが、そこまでの選手にお金をかけすぎでは。。。という評価に落ち着いていました。

    KGは自分への評価は正しいと内外に認めてもらうために、非常に厳しいトレーニングを自身に課し、栄養士や個人トレーナーを雇い、ヨガも取り入れるなど自己改造に励み2003-04シーズンについに花が咲きます。

    2003-04シーズン、ウルブスは大型補強を実行しラトレル・スプリーウェル、サム・キャセールの2人を獲得し、ウェスタンカンファレンス1位に躍進。

    KG自身もリーグ3位の平均24.2得点にキャリア初のリバウンド王にシーズンMVPに輝きました。

    最高のシーズンを過ごしたウルブスは念願の優勝を目指しプレイオフに挑みます。

    1回戦はカーメロ・アンソニー擁するナゲッツに8度目の正直で1回戦を突破すると、2回戦ではキングス相手に第7戦に突入したが激戦を制し、カンファレンスファイナルにまで駒を進めました。

    カンファレンスファイナルはシャキール・オニールとコービー・ブライアント擁するレイカーズ戦となりましたが、怪我人続出の中勝ち上がってきたウルブスに対抗する力は残っておらず、2勝4敗で敗れてしまう。

    翌2004-05から2006-07シーズンまでなぜかチームがかみ合わず、プレーオフ進出もかなわず、チーム成績も下がる一方。

    しかし、KGは安定した活躍を見せていました。

    そして、2007年にKGはついにチームにトレードの要求しました

    複数のクラブとの交渉の末、ボストン・セルティックスに移籍し、

    ポール・ピアース、レイ・アレン、ケビン・ガーネットのセルティックスBIG3が誕生します。

    ヒートのBIG3(レブロン・ジェームス、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュ)
    サンダーのBIG3(ケビン・デュラント、ラッセル・ウェストブルック、ジェームス・ハーデン)
    ウォリアーズのBIG3(ステフィン・カリー、クレイ・トンプソン、ドレイモンド・グリーン)

    セルティックスBIG3は後のBIG3と呼ばれる先駆けとなりました。




    5. セルティックス時代


    no title




    2007-08シーズンからBIG3がもたらした功績、インパクトはすさまじかったものがあります。

    スタッツはウルブス時代に比べ落ちましたが、衰えとかではなくチームを支える役を演じたためです。

    昨シーズン24勝だったセルティックスを66勝に導き稀にみる大躍進を演じ、リーグ順位も最下位から1位に

    プレイオフ1回戦、2回戦ではホークス、キャバリアーズと第7戦までもつれる接戦を制し、カンファレンスファイナルでは、ピストンズに4勝2敗でファイナルに進出。

    ファイナルはセルティックス永遠のライバルのレイカーズ戦。KGにとってもウルブス時代にファイナル進出を阻まれた相手でもありました。

    BIG3の勢いはファイナルで爆発し、3勝2敗で迎えた第6戦では26得点14リバウンド4アシスト3スティールの活躍で前半で勝負を決め、KGはコートサイドからセルティックスの22年ぶり17回目の優勝を見届けました。

    no title




    KGはセンターサークル駆け寄り、セルティックスのチームロゴの「レプラコーン」に口付けをして「Top of the world!」と叫び続けたそうです。

    その後マイクに向かって「Anything Is Possible」と叫んだ姿も有名です。



    翌シーズンは怪我でシーズン途中離脱しましたが、チームはプレイオフに進出。KG不在のディフェンス影響は大きく2回戦で敗退。

    翌シーズンにはファイナルまで駒を進め、2年前の再現となるレイカーズとの死闘の末敗れてしまいました。

    この頃から怪我の影響から衰えが見え始める。

    2010-11、2011-12シーズンは2年連続でプレイオフ進出するも新BIG3のヒートにいずれも敗れファイナル進出はできませんでした。

    2年連続で敗れたことにより、セルティックスBIG3からヒートBIG3へと時代は流れ、

    そして、セルティックスは再建に舵を切りKGを放出する決断をしました。


    6. ネッツ・ウルブス時代


    ポール・ピアース、ジェイソン・テリーと共にネッツに移籍するといきなりプレイオフ2回戦まで進みましたが、またしてもヒートに苦汁を飲まされた。

    2015-16シーズンを前にしてウルブスへの移籍を発表。

    2016-17シーズンのトレーニングキャンプ開始を数日後に控えた9月23日KGは1本の動画をインスタグラムにアップしました。

    この投稿をInstagramで見る

    To be continued...

    Kevin Garnett(@tic_pix)がシェアした投稿 -



    内容は、

    「みんなに、みんなの愛情に感謝している。みんなが自分のことをこんなに愛してくれるとは思ってもいなかった。それが現実になったことは、特別なことだった。俺たちは大丈夫だ。簡単だとは思わないが、今のところうまくいっている。この先を楽しみにしていてくれ」

    『Farewell(さようなら)』、そして『Thank you for the journey(旅に付き合ってくれてありがとう)』

    この動画がKGの引退発表となりましたが、記者会見や取材もないとても質素な引退発表となりました。



    KGは引退する前にウルブスの若手たちを助け引っ張るためにウルブスに戻ってきましたが、

    恩師のサンダースが亡くなり、引退する少し前にはサンダースが集めたスタッフの大半とウルブスは契約を打ち切り、KGの居場所がなくなり周りからは現役を続けることを勧められたらしいのですが引退を選択したそうです。

    7. まとめ


    今のNBAはオールラウンダー化が進みセンターの選手でさえ3Pシュートを放つ時代となっています。KGは4番(パワーフォワード)のオールラウンダー選手の先駆けとして、数多くのタイトルを獲得しました。

    NBA殿堂入りした思いを「今までの努力は、すべてこのためにあったと言っても過言ではないよ。殿堂入りという名誉を受けられるなんて、本当にうれしい」とコメント。

    今はセルティックス時代の恩師「ドック・リバース」の下でチームコンサルタントに就任しているが、

    サンダースが存命の時、「いつかはオーナーの仕事を理解して、そのグループに加わりたい」と度々口にしていました。

    「オーナー」という言葉はサンダースが亡くなってから発しなくなりましたが、

    KGは今どこに向かっているか、発言に注目だ。

    ※殿堂入り式典は、8月下旬にマサチューセッツ州のスプリングフィールドで予定されています。



    KGはセルティックスに移籍後「もっと早く移籍すれば良かった」と発言しましたが、私は本心だと思っていません。

    いつの日かサンダースの意思を継いでウルブスに返ってくる日を私は待っています。




    先日のコービーの追悼式弟のために涙を流したシャック(本名:シャキール・オニール)。

    マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアントの追悼式で涙のスピーチ。 マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアントの追悼式で涙のスピーチ。
    …ール』の映像が流れた。またコービーの盟友、マイケル・ジョーダンやシャキール・オニールら伝説の元NBA選手によるスピーチが感動を呼んだ。ジョーダンは、涙…
    (出典:エンタメ総合(VOGUE JAPAN))



    本日はそんなシャックについてまとめました。

    赤色がレイカーズ時代のもの

    4×NBAチャンピオン:2000~2002, 2006
    2×得点王 (1試合平均):1995 (29.3) , 2000 (29.7)
    3×シーズン通算最多得点:1995 (2315) 1999 (1289)2000 (2344)
    5×シーズン最多フィールド・ゴール:1994 (953) 1995(930) 1999(510)2000(956)2001(813)
    9×フィールド・ゴール成功率1位:
    1994(.599) 1998(.584) 1999(.576) 2000(.574) 2001(.572) 2002(.579) 2004(.584) 2005(.601) 2006(.600)
    MVP : 2000
    3×NBAファイナルMVP : 2000~2002
    3×NBAオールスターゲームMVP: 2000 2004 2009
    オールNBAチーム
    8×1stチーム 1998, 2000,2001,2002,2003,2004,2005,2006
    2×2ndチーム 1995, 1999
    4×3rdチーム 1994, 1996, 1997, 2009

    1992年ドラフト全体1位でマジックに入団を果たす。ルーキーイヤーから規格外のサイズとパワーで他を圧倒し新人王に輝くが、プレイオフは逃した。

    シャック:81試合出場81試合先発 出場時間37.9分
     23.9得点1.9アシスト13.9リバウンド(キャリアハイ) 0.7スティール3.79ブロック(キャリアハイ)
    ザイオン: 13試合出場3試合先発 出場時間28.4分
     23.3得点2.3アシスト7.1リバウンド0.6スティール0.3ブロック

    ルーキーイヤーのシャックとザイオンのスタッツです。20年も離れているので参考程度にしかなりませんが、シャックがルーキーでありながらいきなりスター選手の仲間入りしたのが分かる。

    ちなみにルーキーで初めて開幕第1週の最優秀選手にも選ばれた。

    何よりも印象に残っているのは、リングを破壊したことです。シャックはルーキーシーズン2回破壊し全てのリングを改修するにまでに発展させた。

    翌シーズンは平均得点を29.3まで上げスーパースターの仲間入りを果たす。そして球団史上初めてプレーオフ進出に導いた。

    1994-95シーズン、3年目にしてシャックは前年逃した得点王の座についた。シャックはチームをイースタン・カンファレンス最高勝率に導き、チームを初のNBAファイナルへと進出させることに貢献したが、ヒューストン・ロケッツの前に1勝も出来ずに敗退した。

    しかし、マイケル・ジョーダンのいるシカゴ・ブルズをカンファレンス準決勝で破りファイナルに出場したことはシャックに取って大きな経験となり、NBAにとっても新たな時代を予感させる出来事でもあった。

    1995-96シーズン、2年連続地区優勝を果たすがプレイオフでは復帰2年目となったジョーダン率いるブルズに完敗を喫する。チームメイトのハーダウェイとの確執が深まり、フリーエージェントとなったシャックはレイカーズに移籍した。

    1996-97シーズン、シャックがレイカーズに移籍してきたが、HCやチームメイトは唯我独尊なシャックを操ることができず、シャックの実力は本物だったが1999-20シーズンまでチームのケミストリーは確立せず、3年目を迎えスーパースターへの仲間入りしたコービーとの間にも亀裂が深まり泥沼化する気配さえ感じた。

    1999-20シーズン、名将フィル・ジャクソンHCを招き入れシャックを主軸としたチームを作り上げた。そして、ジャクソンHCはレイカーズに移籍してきてから唯我独尊だったシャックの手綱を握った。するとチームのケミストリーは増々高まっていき、一気に強豪チームへと変貌を果たし1位でプレーオフへ。プレイオフも危なげなく勝ち進み、ファイナルではスパーズを4勝2敗で下し、初のチャンピオンに輝く。

    この年のシャックはレギュラーシーズン、オールスター、ファイナル全てのMVP独占。2000年はシャックの年となった。

    2000-01シーズン、この年も地区優勝はスパーズに明け渡したものの、地区シリーズを全勝で勝ち上がり、ファイナルはシクサーズに4勝1敗で下し2連覇を達成する。シャックは2年連続のMVPを獲得。

    2001-02シーズン、怪我の影響で15試合欠場するが、プレイオフにはきっちりと調子を上げファイナル進出。ファイナルではネッツに4勝0敗のスイープで3連覇を達成。MVPも獲得し、3連覇3年連続ファイナルMVPを獲得
    3連覇を達成してコービーとのデュオの評価は最高潮に上がっていたが、2人の仲は反比例するように修復不可能となっていた。

    2002-03、2003-04シーズン共にオールNBA1stチームに3、4年連続で選ばれるが、チームはプレイオフの準決勝でスパーズに敗れ、翌シーズンはファイナルでピストンズに敗れてしまう。

    2004年のオフにコービーは球団に「若い自分を採るか、オニールを採るか(これ以上オニールとプレーする気はない、彼が残るなら自分が出て行く)」と迫りレイカーズはコービーを選択し、シャックはレイカーズを退団した。

    2004-05シーズン、シャックはヒートへの移籍と共に東西の勢力図は大きく変化した。シャックはレイカーズから追い出された怒りからか、入団会見で「俺がこのチームを優勝させてやる」と意気込んだ。

    ヒートはシャックが入団したことにより、ウェイドと共に一気に強豪チームに変貌し東地区の1位に。プレイオフではカンファレンス決勝でピストンズに敗れたものの、レイカーズはプレイオフに進出できなかったことでシャックの評価は上がり、コービーの評価は下がった

    2005-06シーズン、カンファレンス2位でプレイオフに。ピストンズをカンファレンス決勝で破った後、ファイナルではマーベリックスに2連敗からの4連勝を飾り、自身4つ目のチャンピオンリングを手にする

    シャックは公約通りにチームを優勝させたが、ルーキーシーズンから続いていたダブルダブルが途絶えた。以前のような圧倒的支配力は陰りを見せ始めたが、オールNBA1stチームには入った。

    翌シーズンは怪我で前半戦ほとんど出場できなかったが、後半ウェイド不在の中なんとかプレイオフ進出を果たす。しかし、1回戦でブルズに4連敗を喫し敗退した。平均得点も初めて20点台を割り、12年続いたオールNBAチームも途絶えてしまう。

    2007-08年にはシャックの陰りが一層強くなるとチームも低迷し、シーズン途中でサンズに放出されてしまう。

    2008-09シーズンは数年前にMVPの価値観を巡って舌戦を繰り広げ、不仲説が取り沙汰されていたスティーブ・ナッシュとの関係にも注目が集まった。移籍当初こそチームのスタイルとプレーがかみ合わずに負けが先行、チームも一時地区首位から転落するが、その後チームのスタイルとプレーがかみ合いだすとオニールも復調し、チームはプレイオフに進出。ただプレイオフ1回戦でチームはサンアントニオ・スパーズに敗れてしまう。

    翌シーズンキャバリアーズでプレイし、さらにその翌シーズンセルティックスでプレイするも衰えと慢性的な膝の怪我更にはアキレス腱まで痛め、シーズン終了後引退を決断する。

    シャックが引退表明間もなくレイカーズは背番号「34」を永久欠番に。

    コービーとの雪解けは意外な理由でした。シャックがレイカーズを去ってから8年後、レイカーズにシャック以来の大物センター、ドワイト・ハワードが加入してきましたが、1年間一緒にプレイしてシャックの偉大さに気づき、コービーから対談の申し入れが行われ雪解けしたそうです。

    たられば話はあまり好きではないですが、もしシャックとコービーとの仲が良ければ、レイカーズは何回チャンピオンになったと思いますか?

    【【NBA】歴代No1センター~シャキール・オニールについて~】の続きを読む

    シャックは史上最高のセンターです!!

    4×NBAチャンピオン:2000~2002, 2006
    2×得点王 (1試合平均):1995 (29.3) , 2000 (29.7)
    3×シーズン通算最多得点:1995 (2315) 1999 (1289)2000 (2344)
    MVP : 2000
    3×NBAファイナルMVP : 2000~2002
    15×NBAオールスターゲーム出場:1993~1998 2000~2007 2009
    3×NBAオールスターゲームMVP: 2000 2004 2009[1]
    オールNBAチーム8×1stチーム 1998, 2000~2006
                2×2ndチーム 1995, 1999
                4×3rdチーム 


    【【NBA】レブロン?AD?勝つのは俺だ!そして誰が俺を守るんだ?】の続きを読む

    宇都宮ブレックスvs秋田ノーザンハピネッツの試合は81-63で宇都宮が勝った。私はこのスコアを見て1人の男を思い出し、ユーチューブで検索して動画を見てしまった。
    1人の男とはコービーブライアント。知る人ぞ知るNBAのレジェンドだ。そして81得点は、コービーが1試合にたたき出した得点でもある。NBAとBリーグではルールが違う。試合時間もNBAの方が8分長いが、81得点という数字がどれだけすごいことか語る必要もないだろう。
    その試合コービーは42分間出場しフィールドゴール28本(28/46)、内3Pは7本(7/13)、フリースローは18本(18/20)、計81得点である。試合終了後、私ならインタビューで喜びを爆発させていただろう。しかし、コービーは違った。彼は「90得点、もしくはそれ以上のスコアを残すべきだった。簡単な状況でミスも多かった。100得点も可能だったね。絶対に。もし前半の6分間ベンチに座らずコートに立っていれば100得点取れたかもしれない」と、残しています。信じられますか。しかし、これがコービーです。
    そんなコービー伝説をご覧ください。

    【【NBA】2006.1.22の試合と言えば!伝説のラプターズ戦】の続きを読む

    このページのトップヘ