NBAスポーツ速チャン

NBA好きです。2009年たまたまテレビに映ったコービーの姿に衝撃を受け、レイカーズの試合を中心にみるようになり、ブログを始めました。ただただNBA好きのおじさんです。NBAやBリーグの話題を2chからまとめて紹介しています。

    カテゴリ:Bリーグ > 現役選手

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    Bリーガー初の1億円プレイヤーとなった富樫勇樹。

    千葉ジェッツの司令塔として活躍するだけでなく、Bリーグの顔としてBリーグを引っ張っています。

    かつてはNBA選手を夢見てアメリカに渡り、マーベリックスとの契約まで至りましたが、NBA選手になる夢は叶いませんでした。

    しかし、その行動は現在NBAを目指す選手たちの礎となっています。

    本日はBリーガー初の1億円プレイヤーになった富樫勇樹選手を見ていきましょう。

    【テーマ】

    Bリーガー初の1億円プレイヤー
    ~富樫勇樹~


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    目次
    1. Bリーガー初の1憶円プレイヤーに

    2. 受賞歴

    3. NBAへの挑戦

    4. 河村勇輝

    5. まとめ



    1. Bリーガー初の1億円プレイヤーに

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    2019年に富樫勇樹選手が
    Bリーガー初の1億円プレイヤーになりました。

    富樫勇樹選手の魅力
    誰にも負けないスピード
    正確なパススキル
    ハンドリング技術

    何よりも
    クラッチタイムに強く、
    チームを勝たせることができる選手ということです。

    ※クラッチタイム
    試合終盤の肝心な時間

    1億円を達成した他のプロスポーツ界では
    プロ野球 落合博満(1986年)
    Jリーグ 三浦知良(1992年)

    Bリーグ設立時に5年後に“1億円プレイヤー”を1つの目標として掲げていましたが、
    予想よりも2年早く実現します。

    千葉ジェッツの島田社長は、1億円プレイヤー実現の背景として3つのポイントを上げました。
    1.2018-19シーズンは収入が17億円を突破
    2.東地区32連覇、天皇杯3連覇、日本代表としてワールドカップ本選出場、東京五輪出場権を獲得に貢献
    3.富樫選手の活躍でメディアに取り上げられ、スポンサー価値が上昇、観客の増加

    富樫選手が活躍することにより、千葉ジェッツというチームが大きく成長した証でもあります。

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    Bリーグ創設前のリーグの収益は
    2015-16シーズン
    8億円でした。

    2018-19シーズンは、
    50億円にまで上昇。

    クラブ全体の収益に関しても、
    2015-16シーズン
    83億円

    2018-19シーズン
    約2.5倍の215億円に達しました。

    このままBリーグが成長すれば、
    第2、3の1億円プレイヤーもでてくるでしょう。

    2013年、富樫選手はアメリカから帰国し秋田ノーザンハピネッツに入団します。
    当時は半年で100万円の契約でした。

    6年後
    半年で100万円から、1億円にまでのぼり詰めることになります。

    富樫勇樹選手はまだ25歳。
    全盛期はまだ先にあります。

    年俸がどこまで上がるのか楽しみながら
    富樫選手、Bリーグを応援しましょう。


    2. 受賞歴

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    シーズンMVP: 2019

    年間ベスト5: 2014,2017-2019

    アシスト王: 2014

    オールスター出場: 6回出場 2014,2016-2020

    〇基本情報

    身長: 167㎝

    体重: 65㎏

    所属チーム 
    秋田ノーザンハピネッツ: 2013-14
    テキサス・レジェンズ: 2014-15
    千葉ジェッツ: 2015-
         
    ポジション: ポイントガード

    出身: 日本(新潟県新発田市)


    3. NBAへの挑戦

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    2013-14シーズン終了後、
    NBA挑戦を表明しました。

    日本人として4人目のサマーリーグロスター入りが決定します。

    田臥勇太、川村卓也、竹内公輔続き4人目。

    ポイントガードの3番手の選手として登録されましたが、
    「TOGA」という声援が飛び、一躍ファンやメディアから注目される存在になりました。

    11月15日
    マーベリックスと契約

    契約後解雇されます。

    そのまま、
    マーベリックスの傘下、テキサス・レジェンズと契約。

    富樫選手は25試合に出場し、
    出場時間8分、2.0得点1.0アシスト0.4リバウンドの成績をおさめます。

    足首の捻挫によりシーズン後半を全休してしまい25試合の出場となりましたが、
    「日本では味わえないこともあって、本当に成長できたと思う」

    と富樫選手はコメント。

    確かな成長を感じられましたが、
    テキサス・レジェンズとの契約は打ち切りに。

    翌年、イタリアのチームとプレシーズンの契約を行いますが、
    本契約には至りませんでした。

    同年9月28日に、
    千葉ジェッツと契約します。

    NBAへの挑戦は1年で終わってしまいましたが、
    今の富樫選手があるのはNBA挑戦があってからこそです。

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    現在NBAに挑戦中の
    馬場雄大選手。

    BリーグからのNBA入りを目指して富樫選手のようにアメリカに渡っています。

    富樫選手と同じテキサス・レジェンズに所属し、
    41試合(うち先発は5試合)プレーして平均19.6分6.3得点2.6リバウンド1.2アシストに3Pシュート成功率41.5パーセントをマーク。

    今シーズンはコロナウィルスの影響でシーズンが終了しましたが、確かな成長をしました。

    富樫選手の無念を
    Bリーガー出身者として果たしてほしいです。


    4. 河村勇輝

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    2020年1月20日
    スーパー高校生の河村勇輝が三遠ネオフェニックスに特別指定選手として電撃加入しました。

    スーパー高校生、河村勇輝の記事↓
    スーパー高校生としてBリーグを席巻した男~河村勇輝~

    少しさかのぼった2019年11月30日、天皇杯第2次ラウンド
    福岡第一高校vs千葉ジェッツ

    新旧のスーパーポイントガード対決が実現しました。

    もちろん、
    チケットは完売。

    試合の結果は、109-73で千葉ジェッツが圧勝しましたが、
    最大の輝きは河村選手でした。

    スタッツ
    21得点10アシスト6スティール

    プロ相手に堂々とした数字を残し確かな実力を示します。

    試合後、
    「前日からしっかり準備して、モチベーションやコンディションもばっちり合わせてきました。『人生を賭けてがんばるんだ』と思った試合はこの試合が初めてです。これからの人生にいい経験になりました」

    川村選手はコメント。

    福岡第一高校vs千葉ジェッツの試合をご覧ください。

    川村選手がBリーガーとなって
    富樫勇樹vs河村勇輝を見たいと期待されます。

    電撃で三遠ネオフェニックスと契約した河村選手の初戦は
    なんと、千葉ジェッツ。

    天皇杯から2か月後まさかの対戦が実現しました。
    1月25日

    8得点5アシスト1リバウンド

    1月26日

    21得点2アシスト3リバウンド

    史上最年少でB1デビュー
    史上最年少得点

    記録づくめのデビュー戦となります。

    コロナウィルスの影響でシーズンが中断してしまいましたが、
    11試合に出場し

    12.6得点3.1アシスト2.6リバウンド

    現役最高の高校生の実力を遺憾なく発揮しました。

    河村選手のプロデビュー戦をご覧ください。

    河村選手は
    東海大学に進学します。

    来シーズンも
    特別指定選手としてBリーグに帰ってくるでしょう。

    そうしたら、
    現役最高選手vs河村選手の熱い対戦がまた見られます。


    5. まとめ

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    Bリーガー初の1億円プレイヤーとなった富樫勇樹。

    千葉ジェッツの司令塔として活躍するだけでなく、Bリーグの顔としてBリーグを引っ張っています。

    富樫選手はクラブの公式HPで、
    「2020-21シーズンも千葉ジェッツふなばしでプレーします」
    「今シーズンの目標はまず開幕戦に勝つことです。毎試合を大切に、チームで成長し、念願のリーグ優勝を成し遂げられるように不撓不屈の精神で臨みます」

    抱負を発表しました。

    来シーズンのBリーグは
    コロナウィルスの影響で設立して初めての大きな壁にぶち当たりました。

    Bリーグの先頭を走る富樫勇樹。
    日本のバスケット界の至宝として活躍を期待しています。

    最後にBリーガー初の1億円プレイヤー富樫勇樹の2019-20シーズンの活躍をご覧ください。

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    日本人初のNBA選手となった田臥勇太。現在はBリーグの宇都宮ブレックスに所属しています。

    高校時代には伝説の9冠を達成し、NCAA2部の大学に留学。「日本のジョーダン」と紹介されます。

    日本人初のNBAプレイヤーとしてサンズのコートに立ち日本中を沸かしてくれました。

    本日は日本人初のNBAプレイヤーになった田臥勇太を見ていきましょう。


    【テーマ】

    日本人初のNBA選手
    ~田臥勇太~


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    目次
    1. 日本人初のNBA選手に

    2. 受賞歴

    3. 伝説の高校9冠

    4. 現在は?

    5. まとめ



    1. 日本人初のNBA選手に

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    田臥勇太は
    日本人初のNBA選手です。

    スポーツ選手の中にさまざまな先駆け者がいます。

    その中でも日本を飛び出し世界トップクラスのリーグに挑戦する人達がいました。
    野球界は野茂
    サッカー界はキングカズ・釜本

    そして、バスケットボール界は、田臥勇太です。

    2004年9月6日
    フェニックスサンズと契約。

    2004年11月1日
    開幕ロスターに登録され、日本人初のNBAプレイヤーになりました。

    NBAでの成績は開幕戦を含む4試合、
    出場時間17分:7得点3アシスト

    2004年12月18に解雇されましたが、
    日本人初のNBAプレイヤーとしてNBAのコートに立ったことは事実です。

    NBAに挑戦して6年。

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    〇アメリカでの経歴をご覧ください。


    2003年5月 
    トヨタ自動車アルバルクを退団。

    7月
    マーベリックスのサマーリーグに参加し、ナゲッツと契約。

    3試合プレシーズンに出場しましたが、
    開幕ロスターには残れず解雇。

    11月
    ABA(NBA下部の独立リーグ)のロングビーチ・ジャムと契約。

    2004年4月
    ロングビーチ・ジャムで優勝。

    9月
    フェニックス・サンズと契約。

    11月
    日本人初のNBAプレイヤーに。

    12月
    サンズから解雇。
    ロングビーチ・ジャムと再契約。

    2005年9月
    クリッパーズと契約。

    7試合のプレシーズンに出場しましたが、解雇。

    11月
    Dリーグ(現Gリーグ)のアルバカーキ・サンダーバードに入団。
    チームの主軸として活躍しましたが、シーズン後半怪我で全休。

    2006年7月
    マーベリックスのサマーリーグに参加します。

    11月
    Dリーグのベーカーズフィールド・ジャムに入団。

    2007年11月
    Dリーグのアナハイム・アーセナルへ移籍。

    2008年7月
    ネッツのサマーリーグに参加。

    8月
    リンク栃木ブレックスに入団。

    田臥勇太選手は
    約6年に渡りNBAに挑戦し続けました。

    田臥勇太選手が初のNBAプレイヤーになった試合をご覧ください。


    2. 受賞歴

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    年間ベスト5賞: 2009-2010,2015-2016

    プレイオフMVP: 2010

    新人王: 2003

    アシスト王: 2009,2015

    スティール王: 2009

    オールスター: 11回出場 2003,2009-2012,2014-2019

    〇基本情報

    身長: 173㎝

    体重: 76㎏

    所属チーム 
    トヨタ自動車(JBL): 2003-04
    ロングビーチ・ジャム: 2003-2004
    フェニックス・サンズ: 2004
    アルバカーキ・サンダーバード: 2005-06
    ベーカーズフィールド・ジャム: 2006-07
    アナハイム・アーセナル: 2007-08
    宇都宮ブレックス: 2008-
         
    ポジション: ポイントガード

    出身: 日本(神奈川県横浜市)


    3. 伝説の高校9冠

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    田臥勇太選手は
    能代工業高校に在籍時、伝説の3年連続3冠を達成しています。

    ※3冠とは
    1年間で高校総体(インターハイ)」「国体」「全国高校選抜(ウィンターカップ)」を制することです。

    更に
    3年連続でベスト5に選ばれています。

    高校生の試合にも関わらず
    満員御礼になることは珍しくなく、
    9冠を達成した日には1万人の大観衆が押しかけました。

    2018-19シーズンのB1平均観客動員数
    Bリーグ1位の千葉ジェッツは約5,000人

    この数字だけ見ても、どれだけ話題になったのかが分かります。

    現役高校生として
    史上2人目の日本代表候補に選ばれました。

    高校3年の3月には
    ナイキ・フープサミット(全米ジュニア選抜と世界ジュニア選抜)に日本人として初出場。

    今シーズン元福岡第一高校の
    河村勇輝選手が三遠ネオフェニックスに特別指定選手として話題をかっさらった感じだと思います。

    高校時代から抜群の人気と実力を兼ね備えていた田臥雄太選手。

    9冠を達成した翌日、新聞の見出しも
    「国内無敵、次は世界だ米国留学」とスケールが違いすぎます。


    4. 現在は?

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    田臥勇太選手は
    現在39歳で宇都宮ブレックスに所属しています。


    2019-20シーズンは
    開幕から13試合連続で先発出場を果たしますが、半月板の損傷で長期離脱を余儀なくされました。

    来シーズンは40歳になりますが、
    まだまだ現役続行に意欲を燃やしています。

    今シーズンはレジェンドの折茂武彦選手が引退しました。

    折茂武彦選手の記事↓
    レジェンド折茂武彦が残した功績と思い

    最年長選手ではありませんが、レジェンドが引退した今、
    Bリーグを引っ張っていく存在になることに変わりません。

    ※最年長選手は
    竹田謙選手(横浜ビー・コルセアーズ)です。

    折茂選手は49歳まで現役でした。

    田臥勇太選手はあと何年現役を続けるか分かりませんが、
    レジェンドと呼ばれるその日まで、
    現役選手であってほしいと思います。


    5. まとめ

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    日本人初のNBA選手となった田臥勇太。現在はBリーグの宇都宮ブレックスに所属しています。

    高校時代には伝説の9冠を達成し、NCAA2部の大学に留学。「日本のジョーダン」と紹介されます。

    日本人初のNBAプレイヤーとしてサンズのコートに立ち日本中を沸かしてくれました。

    現在NBAで活躍する
    八村選手や渡邊選手も田臥勇太選手を目指していました。

    そして今は八村選手を目指してアメリカの大学・高校に留学してNBAを目指している選手もいます。

    当時では考えられない事が今現実に起こっているのです。

    もしかしたら、
    将来、日本代表の先発5人がNBA選手という日が来るかもしれません。

    そういう日がきたらきっと言われるでしょう。
    「始まりは田臥勇太だった」と。

    田臥勇太選手しっかり怪我を治してコートに戻ってきてください。
    バスケファンはみんな田臥勇太を待ってます。

    【【Bリーグ】日本人初のNBA選手~田臥勇太~】の続きを読む

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    レバンガ北海道のSG折茂武彦(49)は2020年5月3日、チーム広報を通しシーズン終了のあいさつと、今季限りの現役引退を行いました。

    日本バスケット界が揺れた27年間を突っ走り、記憶と記録に残した折茂武彦。

    日本バスケット界が揺れた理由↓
    Bリーグ発足の経緯について

    Bリーグの発足の経緯を知っていると折茂選手の歩んできた道がいかに険しいかが分かるので、ちょっと覗いてみて下さい。

    本日は、Bリーグ界のレジェンド折茂武彦を見ていきましょう。

    【テーマ】

    レジェンド折茂武彦が残した功績と思い


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    目次
    1. 折茂武彦とは

    2. 実業団からプロへ

    3. プロの現実(レラカムイ北海道)

    4. 選手兼代表

    5. まとめ



    1. 折茂武彦とは

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    信じられないことに、
    49歳で現役選手でした。

    もちろんですがBリーグ最年長選手です。
    (他には43歳桜木ジェイアール選手、41歳竹田謙選手、39歳田臥勇太選手がいます)

    サッカーの三浦知良選手や、スキージャンプの葛西紀明選手と共に
    『レジェンド』と呼ばれています。

    折茂選手は選手だけではありません。
    レバンガ北海道の代表も務めています。

    選手兼監督ならプロ野球やJリーグ等で聞いたことがありますが、
    選手兼代表は聞いたことがありません。

    調べてみたら、サッカー元日本代表高原選手が沖縄SVで選手兼監督兼代表で活躍しているそうです。

    ユニフォームを着て選手として試合に出場し、スーツを着て代表として奔走する日々。

    紛れもなくレジェンドです。

    【基本情報】
    名前: 折茂 武彦(おりも たけひこ)

    生年月日: 1970年5月14日

    身長: 190㎝

    体重: 77㎏

    出身: 埼玉県上尾市

    経歴: 
    日本大学: 
    トヨタ自動車アルバルク(JBL): 1993-2007
    レラカムイ北海道(JBL): 2007-2011
    レバンガ北海道(JBL,NBL,Bリーグ): 2011-現在

    通算3Pシュート成功数1000本達成

    日本人初通算10000得点達成


    2. 実業団からプロへ

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    1993年に折茂選手は日本大学卒業後、トヨタ自動車に入部します。

    理由
    当時のトヨタ自動車は弱小チームだったのですぐに試合に出場して活躍ができると思ったからだそうです。

    折茂選手はただのバスケット選手ではありませんでした。
    ・入団初年度から日本代表に選ばれます。
    ・社員選手から契約選手にもなりました。
    ・日本で開催された2006年の世界選手権ではチームの最年長として出場し、チームに貢献しました。

    折茂選手は日本一に3回輝き、日本代表にも選出されましたが、何か物足りなさを感じていました。

    そして、その物足りなさを手にするためにレラカムイ北海道に移籍します。


    3. プロの現実(レラカムイ北海道)

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    念願の『プロバスケットボール選手』になった折茂選手でしたが
    現実は甘くありませんでした。

    契約選手としてバスケットだけに集中していた実業団でしたが、
    プロバスケットボール選手になったのにも関わらず、精力的に広報活動等をしなければならないプロチーム。

    しかも、プロチームより実業団のチームが強かったJBL。
    バスケットに集中できない。
    試合に勝てない。

    折茂選手はものすごいストレスを抱えながらプレイします。

    しかし、ストレスだった広報活動等が折茂選手の考え方を変えていきます。

    全盛期を越えた折茂選手は多くのファンに触れ合うことで必要な人間(選手)としてレラカムイ北海道のためにという考え方に変わっていきました。

    そして、その考え方はレラカムイ北海道への愛情に変わっていき、
    初代「ミスターレラカムイ」と呼ばれるようになります。


    4. 選手兼代表

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    2011年レイカムイが経営難に陥ります。新しい親会社の候補も東日本大震災で撤退。

    北海道のバスケットボールチームの存続のため1人の男が立ち上がりました。
    もちろん、折茂武彦選手です。

    一般社団法人を設立し、
    『レバンガ北海道』を創設します。

    自身も理事長に就任し、
    プロ球技団体では異例の選手兼代表になりました。

    クラブの経営はスポンサー企業の獲得が難航し、資金集めに奔走します。

    寝る間を惜しんで走り回り、スポンサー企業と契約を交わし、手続きを終え『レバンガ北海道』が正式に発表されます。

    こうして2011-12シーズンのオフは
    折茂武彦にとってもレバンガ北海道にとっても忘れられないものになりました。


    5. まとめ

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    実業団選手からプロの選手へ。プロの選手からプロ選手兼代表へ。

    現役生活27年の歴史に終止符を打ちました。

    これからは代表としてチームを支えていきます。

    折茂選手と井上雄彦さんとの対談です。

    対談の中で、Bリーガーの在り方について話しています。

    『1人1人が人を呼べる選手に』

    それが、折茂選手の願いのように感じました。

    ここまでBリーグが盛り上がっているのにも関わらず、
    『寂しい』と表現したのです。

    これは、折茂選手から出されたBリーガーに対する宿題です。
    『レジェンドからのバトン』

    今のBリーガーなら必ず引き継いで後に託してくれるでしょう。


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    更に、
    レジェンドと呼ばれるのはあまり好きではない。
    レジェンドはなるものであって、レジェンドでいたいとは思わない」とも話しています。

    折茂選手は望んでいませんが、紛れもなく折茂選手は『レジェンド』です。

    理由は語るまでもないでしょう。

    しかし、これは何かの暗示かもしれません。

    さらにでかい事をしてくれるかもしれません。

    さらにでかい事。。。、それは。。。
    優勝、それ以外ないでしょう。

    未来のことはここでは置いといて。。。

    折茂選手、27年の現役生活本当にお疲れさまでした!!

    最後にレジェンド折茂武彦選手をご覧ください。

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